「知的な」と「動物的な」。タイプの違うボイトレ学習者の比較。けれど結局は「短く、しかし頻繁に歌え」

ひとつ、例え話をしようと思います。

私の教室に、全く違うタイプの二人の生徒さんが同時に入門してくれたとします。

まずは知的に歌うタイプのAさん。

Aさんは、これまでにも何度かボイトレを勉強したことがあります。何人かの先生にレッスンを受けたことがあり、自宅での自主練習にも熱心でした。Aさんの声は、まるで彼の話し声のように、ソフトでボリュームに欠けるものです。彼は、とにかく大きな問題なくその曲を歌い終えようとします。音程もそこそこ、リズムも悪くない、感情表現も少々、むしろカラオケに行ったなら”かなり上手い”部類に入るでしょう。けれど、どうも歌に説得力がなく、パワーや迫力はあまり感じられません。そして何より本人がそのことを自覚しており「なぜだかは分からないけど、このままでは不満だ」という漠然とした満ち足りなさを自身の歌に抱えています。

そしてAさんは、私の教室への入門を機に「毎日5分でも自分の声について考え、少しずつ練習する習慣」を身に付ける事を誓ってくれました。

 

一方、動物的に歌うタイプのBさん。

Bさんは、音程やリズムの正確さよりも、声量や声の圧力に魅力があり、いつも”意を決するように・気合を込めて”最初の一音を歌い始めます。その歌声はさっきまでの彼の落ち着いた話し声からは想像もつかないような、ボリューム感のあるものです。

けれど現実は厳しいようで、溢れるような野性でもって一生懸命に歌うのですが、音程はヨレがちで、時には声が裏返ってしまい、最後まで歌いきれないこともあります。Bさんは今までにボイトレを一度も受けたことがありませんし、自主的に歌の練習をしたこともありません。しかしさすがに「このままではいかん!もっと正確に声をコントロールしたい」と考えています。

そんなBさんは、私の教室への入門を機に「毎日5分でも自分の声について考え、少しずつ練習する習慣」を身に付ける事を誓ってくれました。

 

さて、例に挙げたAさんとBさん、私にとってどちらが指導しやすいか?と考えた時、これは間違いなくBさんです。

なぜかというと、これには色々な理由が絡んでいます。

 

時間をかけて身体で覚えた悪癖は、治りにくい

もともとの何の訓練も受けていない状態に比べて、色々と練習をして知らず知らずのうちに身体が覚えてしまった悪癖は、ぬぐい去りにくいものです。

これまでにもボイストレーニングを受けてきたAさんですが、現在の彼の中に「漠然とした満ち足りなさ」が渦巻いている以上、過去のボイトレは失敗だったといえます。そしてその「失敗したボイトレ」の過程で、彼は多かれ少なかれの悪癖を身に付けているはずです。厳しくいうと、彼の毎日の練習は”悪癖を身に付けるだけのために”行なわれていた可能性すらあります。

歌う際の「悪癖」には色々なものがあります。身体を固く硬直させる癖は、当然のように喉も堅く硬直させます。また、歌詞を歌う際に、各母音ごとに喉の形をせわしなく変えてしまうことも、かなり深刻な悪癖の一つでしょう。

 

「歌うこと」の本質は”動物的”なものです

歌声は「そう歌いたい」という明確なイメージを形作ることが発端となって生まれ出ます。これはとても”動物的”な感情であり、知的に考えて行なうものではありません。Bさんが歌う時、彼はその”歌声誕生の発端”を、最初の一音から作り出そうとしています。少なくとも、彼は「歌うための楽器」から、その楽器独特の音を導き出そうと努力しています。彼は”歌声は特別なもの”、さらには「歌うこと」と「話すこと」は、根本的に違うものだということを知っています。

「知的なシンガー」を動物的に奮い立たせるよりも、「動物的なシンガー」に知性を添加する方が、歌声の本質に沿った道筋であるといえます。

 

心配はいりません、毎日少しずつ考えて練習するのです

いずれにしても私は、AさんBさん二人とも上達して望み通りの歌声を手にしてくれることと信じています。彼ら二人とも「短く、しかし頻繁に歌え」というボイトレの基本姿勢を、彼らの生活スタイルの中で可能な限り実行する事を誓ってくれていますから。

 

以上、ご精読ありがとうございました。

筆者のプロフィール、ボイトレへの考え

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