俳優のセリフ。聴き返されては意味がない、「伝わる声」は一度のチャンスで思いを届ける

皆さんは映画を、それも昔(1960年代~1980年代)の邦画をご覧になる機会はありますか?

僕は昔の邦画が大好きで、今でも時々観る事があります。(特に”男はつらいよ”シリーズは、僕の人生の伴侶です!)

最近の映画ももちろん観る機会があるのですが、そのたびに疑問に思うことがあります。

「セリフが聴き取りにくいなあ・・・なぜ、こんなボソボソと話すのだろう・・・」

もちろんジャンルにもよりますが、(家で見ているなら)ボリュームを物凄く上げてもセリフの内容が分からないような映画さえあり、真剣に(邦画なのに!)字幕を付けてほしいと思う事もあります。

もしこれらの映画の趣旨が「現代人をリアルに描く!だから現代人の話し方をそのまま再現している!」のだとすれば、フースラーのいうところの「現代人の喉の機能不全」はもはや絶望的なレベル!という印象を受けます。(まさかそんな事はないでしょう。少なくとも僕の周りの人はあんな風にボソボソとは話しません)

さて、僕は上記のような「最近の映画のセリフ回し」がとても気になります。一昔前の邦画のセリフ回しと比べて色々思うところがあります。

また、声の持つ「伝える」という目的から考えると「これでいいのか・・・?」と考えてしまいます。

そんな内容で書き進めてみたいと思います。

お付き合い下さい。


かつては、リアルさよりも「伝える事」が優先された

「ずいぶん棒読みだな!」・・・一昔前の邦画を見た時の僕の印象は、こうです。

ジャンルによってとか、俳優によってとか以前に、どの映画・どの俳優のセリフも一様に「棒読み」に聴こえます。

これはどうしてでしょうか?昔の俳優は「下手」だったのでしょうか?

まさか、そんな事はないはずです。

僕はこう思います・・・「かつては、リアルさよりも、内容を伝えることに重点が置かれたから」

セリフに込められた意味やニュアンス、それを伝える事は俳優の最も大切な役目の一つでしょう。かつては「リアルさ」よりも「伝える事」の方により重きが置かれていたために(多少棒読み気味であろうとも)滑舌よくはっきりとセリフを読む事が最優先されたのではないでしょうか?

 

録音機器の発達と映画館の衰退がセリフ回しを変えた!

もう一つ、当時と今の「録音機器の性能の差」に関係があるのではないでしょうか?

つまり、昔は今ほど録音機器の性能が良くなかったために、俳優は滑舌よく(多少棒読み気味でも)はっきりとセリフを言う必要があった。ボソボソ話すセリフを録音できるほど優れた性能が当時の機器には無かったことが考えられます。

マイクに上手く声を「乗せる」ために滑舌よく話す・・・当時の俳優にとって必須のスキルであったのかもしれません。

さらに「映画を見る環境の変化」も、セリフ回しの概念を変えてしまったのかもしれません。

映画隆盛の時代、映画を観るには「映画館」に足を運ばなければなりませんでした。映画館の中は”雑音”も多かったと思います。コソコソ話す声・せんべいをかじる音・トイレに立つ人・・・スピーカーの性能も悪く、音がこもりがちだった可能性もあります。そんな環境で全ての人にセリフの意味を届けるには?・・・やはり滑舌よく棒読み気味にならざるを得なかったのかもしれません。

一方現代では、映画館は衰退しました。自宅で映画を観る人が圧倒的に多くなりました。静かな部屋で、一人きりで観る・・・セリフが聴き取れなければ「巻き戻して」確認することも出来ます。

今と昔、上記のような「映画を観る環境」に差があれば、セリフに対する概念も変わってきて当然だとも言えます。

昔の映画は「ライブ」や「ミュージカル」に近かったのかもしれません。今のように巻き戻したり、後からYouTubeで確認したり出来なかったのですから。映画館で観客にアピールするチャンスは、基本的には一度だけだったのです。そのたった一度のチャンスに「セリフが聴き取りにくい」ことは致命的だったのではないでしょうか?

 

「伝わる声」を磨く必要があった

当然、昔の俳優は今の俳優より「伝わる声」にこだわる必要があったのでしょう。

滑舌よく、抑揚をつけて、一度のチャンスで観客にセリフの意図する意味を悟らせる・・・今の俳優以上にそんな能力を求められていたのかもしれません。

 

渥美清の声

「男はつらいよ」の寅さんを演じた俳優・渥美清は、元々浅草のストリップ劇場の幕間に披露するコントがそのキャリアのスタートでした。

幕間のコント時代は、正にドタバタ劇を地で行くようなスタイルだったと言われています。

渥美清の、あのガム交じりの魅力的な声はそんな時代に培われたものでした。酔客の罵声に負けない強く豊かな声・・・そんな環境の中で磨かれた渥美清の声は、その後映画に進出した後も圧倒的に魅力的で、正にそれは「伝わる声」でした。

 

まとめ

僕が常々感じている最近の映画のセリフの「聴き取り辛さ」、皆さんも意識して聴いてみて下さい。

「昔の俳優=棒読み」「今の俳優=聴き取りにくい」・・・これは決して「時代の流行」なのではなく、上記のような必然的な理由があっての事だと思います。

昔と今、どちらのスタイルの方が良いか?という問題ではなく、「伝達手段」としての声とは、やはり「一度聞いただけでしっかりと意味を伝えられる」ことが本質ではないかなと個人的には思います。「何度も聴き返さないと分からない」「何を言っているのか分からない」といったセリフ回しでのリアリズムの追求は、「意味を伝える」という”声の本質”から少し外れているのではないかなと、これも個人的には思います。

もちろん、最近の全ての俳優さんのセリフが聴き取りにくいという訳ではありません。しかし一部には“度を越して”聴き取りにくいセリフばかりで構成されている映画がある事は事実です。

 

以上、ご精読ありがとうございました。

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