”どこでも歌う派”と”慎重派”。ライブでもボイトレでも、足し算からの引き算

何でもかんでも安請け合いする時期があってもよいと思います。とことん安請け合いして、さんざん”足し算”して、し尽したらそこから”引き算”していって、自分なりのペースを見つけられれば・・・と思います。

僕はよくミュージシャン仲間から「石橋は安請け合いだ」と言われます。

いや、正確に言うと「石橋は安請け合いだ」と言われて”いました”。2018年までは、とにかく依頼のあった仕事に基本的には「やらせてください!」と答えて、請けれるだけ請けてきました。もちろん物理的に無理な場合を除いてです。例えば京都でのレッスンが16時に終わる、その後17時から大阪でライブの依頼を受けた・・・これは京都から大阪までは一時間以上かかるので断らなければなりません。(それでもライブの開始時間をずらしてもらえないものか、ギリギリまで交渉しますが 笑)言い換えればライブ開始が18時なら間に合うので「やらせてください!」と言うと思います。

上記は時間的な制約の例ですが、ライブには”環境的な制約”がある場合もあります。

会場に音響設備が無い又は乏しい、マイクの数が足りない、モニターがない(自分の歌声が聴こえない)、誰も聴いてくれない可能性が高い・・・などの制約のことです。

”安請け合い”な僕は、もちろんよほどの劣悪さがない限り「やらせてください!」と御請けします。(上述した”制約”の中では「誰も聴いてくれない可能性が高い」というハンデが一番キツいですね、心が折れそうで・・・やっぱり歌は”聴いてもらってナンボ”ですから・・・)

上記のような”制約”に対して、僕が一緒に仕事をしてきたミュージシャン仲間は概ね「両極端」の考えを持っているという印象です。つまり「どこでも何でも演奏するぜ!」という一派と「ちゃんとした環境でだけ演奏したい」という一派です。

これは、どちらにも言い分があり「良い悪い」の問題ではなく、いうなれば”美学”とでも言いましょうか・・・

”どこでも何でも演奏するぜ!派”の言い分としては、「どんな環境でも演奏できてこその我々の存在意義である。また、劣悪な環境でも満足な演奏が出来てこそ真の実力である。」というものです。

一方”ちゃんとした環境でだけ演奏したい派”の主張は、「整わない環境で演奏したのではベストの演奏は事実上難しい。万一醜態をさらせば我々の価値は暴落し、結局今後の仕事を失うことになるから慎重になるべきだ」というところでしょう。

なるほど、どちらも間違いではありません。どちらの主張も充分理解でき、そんな考えを”美学”として持っていることはそれぞれ誇らしいことのように感じます。

まあ、これはその人の持つ個人の性格の現れですね!おおらかで積極的な人は何をやってもそんな風であり、逆もまたしかりでしょう。

 

さて、冒頭に書いたように2018年までの僕は、極端な”どこでも何でも演奏するぜ!派”でしたが、2019年は少し慎重になろうと思います。あまりにも何でもかんでも詰め込み過ぎたため、全ての考えが後ろ向きになりマイナスの発想ばかりに偏っていた時期がありますので・・・(毎日就寝が遅かったせいかもしれません)

けれど、何でもかんでも詰め込み過ぎた数年間を経験して良かった!と今は思っています。最初から慎重になって少しずつ足し算していったのでは、きっと自分の限界が来る前に歯止めをかけてしまいそうです。やっぱり「とことん足し算」からの「少しずつ引き算」をお奨めしたくなります。

今年は2018年より少し”引き算”したペースでレッスンやライブ、ブログをやっていき、そんな中で新しい事に気付けたり出会えたり出来れば嬉しいなあ、と考えています。

とはいえ、元来”安請け合いな”僕のことです。来年の年始には「今年はとことん安請け合い!」なんてタイトルのブログを書いているかもしれませんね!

 

以上、ご精読ありがとうございました。

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