シンガーは歌声を「芸術的配慮から離れて」訓練し、ステージでは「芸術的配慮に満ちて」歌う。

「歌声の訓練は、全ての芸術的配慮から離れて行なわれなければならない」

スイスの伝説的な発声教師、フレデリック・フースラーが自著「うたうこと」の中で述べている言葉です。

この言葉の中には、私たちボイストレーナーにとっても、自分の歌声を良くしていこうと考える生徒さんにとっても、とても大切な内容が含まれています。

引用分の意味する事は、いたってシンプルなものです。つまり私たちが常日頃使っている言葉で言いかえるなら「レッスンの場に、歌声の質の好みやジャンルの嗜好といった基準を、持ち込んではいけません」ということです。例えば(私自身はポップスのシンガーなので)クラシック的・声楽的な声を否定してレッスンでの発声に使わなかったり、(私自身は高音を歌うシンガーなので)生徒さんの中低音の開発に全く興味を示さなかったり、(私自身は低音から高音までが一本化された“ミックスボイス”を使って歌うので)意図的に声を裏返らせるテクニックを無視したり。私が、そんな態度でレッスンに臨むことは「芸術的配慮から離れる」どころか、ただの「嗜好の押しつけ」に過ぎません。

もし私がそんな態度、つまり「嗜好の押しつけ」に終始したレッスンしかしなかったら、生徒さんの行く末は、よくて「私によく似た声色と、私によく似た歌いまわしのシンガー」にしかなり得ないでしょう。

さて、歌声の訓練における「芸術的配慮から離れること」を完全にやり遂げることは、意外に、とても難しいものです。歌う事は「その人の嗜好・美意識の現われ」であるという側面をもっているので、不意にふと、ボイストレーナー自身の嗜好や美意識が、訓練の中に入り込んでくることがあります。

「今の声は、さっきの声より”良い”」・・・ボイストレーナーが発するこの言葉・・・”良い”という意味が、個人的な嗜好や美意識的に”良い”のではなく、「のどの機能的に自然で理想的である」という意味での”良い”であるならば、そのレッスンは生徒さんの声を昨日より少し美しくすることができるでしょう。

そしてまた、難しいことが起こります。本番のステージでは、上述の二つの”良い”の意味を、全く逆転させる必要がある場合もあります。お客さんは、ステージに立つ歌手の”のどの機能”を聴くことよりも、その歌手の”美意識”に、主に関心があるからです。(もちろん、お客さんは誰でもいつでも、美しい歌声を聴きたいと願っているので、それは「”良い”のどの機能」を聴きたがっていることと、ほぼ同じ意味です。「美しい歌声は、”良い”のどの機能からしか生まれない」ということは、単純だけれど正しいセオリーです。)

つまり、シンガーは、「芸術的配慮から離れて」歌声を訓練し、ステージでは「芸術的配慮に満ちた」歌声を披露しなければならないのです。

 

以上、ご精読ありがとうございました。

筆者のプロフィール、ボイトレへの考え

PAGE TOP