【チェザリーの言葉】生まれつき上手い歌手に追いつける、充分に訓練さえすれば!ボイトレに希望の光をみよう。

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僕のミュージシャン仲間に、驚くべき歌唱力を持った人が何人かいます。

鋭い声も甘い声も、フォルテでもピアノでも、バラードもシャウトも・・・いつも、凄まじく強い声で歌い、疲れ知らずで・・・こういった人は”生まれつき歌が上手い人”と言われています。また”自然歌手”、”ナチュラルボイス”とも言われ、いつも皆の羨望の的なのです。

僕たち”歌における一般人”は、どんなに努力しても彼らには決して追いつくことが出来ないと、”世間では”考えられています。

けれど・・・正しくボイトレする事によってその差を縮めることは充分に可能なのであり、それどころか”歌における一般人”は実は本当は自然歌手・ナチュラルボイスの一員なのだ、という事実はフレデリック・フースラーによってたくさんの科学的引用によって記述されています。

つまり「人間は皆歌える生き物なのだ」というフースラーメソードの大前提が、それなのです。

この言葉は(現状はまだ)自然歌手でない、いや”自然歌手”への道が一時的に閉ざされている僕たちへの強力なエールとなり、僕たちが日々ボイトレに精を出す原動力となっています。

一方、フースラーと並んで”三大ボイストレーナー”の一人と位置付けられているハーバート・チェザリーの著書「The Voice Of The Mind」の中にも同じような結果を予想する記述があります。もちろん上記のフースラーの言葉と並んで僕たちのボイトレ道を明るく照らしてくれるものです。

テクニックの見地から、完全なナチュラルボイスと完璧に訓練された声とのあいだに、識別可能な相違点はありません。

ハーバート・チェザリー

「ボイトレのゴールに到達した人は、生まれつき上手く歌える人に匹敵する歌唱テクニックを操れる」という意味にとれる言葉です。そして結果的にはフースラーの書いた「人間は皆歌える生き物なのだ」と同じ意味合いの言葉なのではないでしょうか。チェザリーの表現は少しマイルドですが、「ナチュラルボイスと訓練された声の間には、少なくとも聴いて分かるだけの差はない」もしくは「平凡な歌手は訓練によって天才歌手と識別不可能なほどのテクニックを持ち得る」という意味なのでしょう。

チェザリーは自著の中で”マインド”が発声に及ぼす影響について繰り返し書いています。どのページをめくっても、母音や音程について”思い浮かべること”が、いかに大切か、と訥々と書かれています。

ボイトレ学習者は(少なくとも目標としては)、自然歌手に匹敵するほど自由自在に歌える境地を目指すべきだと思います。またそのことは不可能ではないということがフースラー、チェザリーなどによって記述(証明)されています。そのことは僕たちを常に勇気づけ、時に暗闇に消え入りそうになるボイトレ道の行く末に、小さいが確かな光を照らしてくれます。

またチェザリーは次のように、別の観点からのエールも僕たちに与えてくれます。

芸術を学ぶには長い期間を要するもの。学習者は途中である時期、途方に暮れるほど後退するように見えるものです。しかしそれは焦りによる反動にすぎません。

ハーバート・チェザリー

なるほど・・・僕にも身に覚えがあります。「半年前の方が自由に歌えていたんじゃないか?」と自問する瞬間が、確かに規則的に訪れているような気がします。けれど、ボイトレのゴールまでには本当に”長い期間を要するもの”なのだという体感もまた、僕にはあります。時折鎌首をもたげる”焦りによる反動”を、意識的にコントロール出来るように努めていきたいものです。

 

今回はチェザリーによる希望溢れる言葉を紹介しましたが、今後もそんな”勇気を与える”ような引用をブログ内でたくさん拾っていきたいと思います。

生徒さんの声に限界を作らず、練習を光に満ちたものにすることもまた、ボイストレーナーの大切な仕事です。

 

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以上、ご精読ありがとうございました。

筆者のプロフィール、ボイトレへの考え

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