楽器は違えど、そのまま「歌声の訓練」に適応できる、二つのこと。

あえて言うまでもなく、私はボイストレーナーとしての仕事を、つまりレッスンの内容を、この先、今よりも充実したものにしたいと考えています。

これは、その他のあらゆる業態の仕事に就く人たちと同じ考えです。

50分という限られた時間を、私と向かいあって過ごすために、生徒さんは忙しい時間を工面し、安いとは言えないレッスン費をお支払いいただいています。

仕事に就く人は皆、自分の仕事をより良くするために、継続して考える義務があります。

 

さて私は今、ポップスやロックを歌うシンガーのためのボイストレーナーです。そして(ずっと初期のころは)ポップスやロックのシンガーをコピーすることから始まり、やがて私自身の声に「ポップスやロックの世界にずっと伝わってきたやり方」で手を加えることによって、その素地が作られてきました。

つまり、シンガーとしてもボイストレーナーとしても、私は「根っからのポップス・ロック畑の人間」であるのです。

けれども、そんな私が30歳代の頃のおよそ10年間(レッスンを受けて勉強していた期間にすると8年強)、他のジャンルに“浮気”をしていた「空白期間」があります。

私はその間だけに限り「根っからのクラシックギター愛好家」でした。クラシックギターのCDを買い漁り、まあまあな値段のギターを買い求め、週に一度K先生のレッスンに通い、無謀にもギターコンクールに出場しました。(このコンクールは、あくまでも”アマチュア“のためのものでしたが)

私の教師であったK先生は、自宅で私たちにレッスンを付け、年に一度の「演奏会」を催し(先生は“発表会”という呼称を嫌っていました)、私たちを「弟子」と呼んでいました。(私は、K先生から“弟子”と呼ばれることに喜びを感じていました)

その後、私は演奏するジャンルを変更し(元に戻し?)、手にする楽器も「ギター」から「発声器官」へと変わりましたが、この頃に受けた音楽的影響は、そのあとずっと私の大きな財産となっています。ギターの奏法だけではなく「音楽の解釈のやり方」や「曲想を工夫することの大切さ」、そして「(ボイストレーナーに最も必要な能力である)楽器の音質に対して拘ること、そのことが技術の進歩に繋がること」を学びました。

この「ブログに書いてる音楽的な内容」、「私がレッスンで申す“音楽に関するうん蓄”」などには、今でも“あの8年間”の学習の成果がたくさん含まれています。

私がクラシックギターの勉強の上で学んだこと、その中で、「これは、ボイストレーニングを行なう上でも必ず役に立つ」いやそれどころか「歌声の訓練を行なう上で、規範にすらなる」と思われることを幾つか挙げてみようと思います。

 

1.「良い技術を得るためには、その楽器から最良の音を引き出せなくてはならない。」

ギター奏法の向上に伸び悩んでいた私を一歩先に進めたのは「私のギターが奏でる“良い音”の発見」でした。私はある時、ほとんど偶然に、弦を弾く右手指の「理想的な、ある形」に気が付きました。そのフォームは、私のギターの“鳴り”と“音色”を、まるで別物のように変えてくれました。そして、その「右手指の形」で演奏することによって、今までまるで弾けなかった音列が弾けるようになることに気づきました。

「良い音」という結果の後ろには「良いフォーム」という原因が必ずあります。そして「良いフォーム」が「良い技術」のためには必須であることは、言うまでもありません。

つまり、その楽器の最良の音を引き出せないことには、その楽器の本当の技術を知ることはできないのです。

 

2.「機械的な練習をどれだけ続けても演奏が不可能な箇所・曲も、感情表現を伴うと、途端に道が開けることも大いにあり得る」

ギターやその他の楽器にとって「機械的な練習」は、必ず通らなくてはいけない道筋であることは間違いありませんが、そんな練習のみではどうしても克服できない箇所や曲が存在します。

その箇所・曲と対峙し続けなければならない場合、「感情表現」を伴侶にする練習に切り替えてみることです。そうすることで、「信じられないくらいあっさりと」その難所を通り過ぎることができる場合があります。

こういうことがなぜ起こるか。私は「作者が“感情表現を伴侶とされることを、無意識のうちに前提として、その箇所・曲を書いた」と考えています。彼はその箇所・曲を「機械的には」書かず、「強い感情の動きにまかせて」書いたのです。

 

上記の二つの事柄、あえて「歌」に置き換えて書かなくてもよいでしょう。

 

以上、ご精読ありがとうございました。

筆者のプロフィール、ボイトレへの考え

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