小さな挫折を”大きな挫折”と捉える才能。ボイトレへの目覚めが早い人は、それだけで非凡。

僕はもう50歳手前の年齢になってしまいましたが、今頃になって「ああ、若い頃もっと勉強しておけば良かった」と思うことが増えてきました。ここで言う「勉強」とは、社会通念や常識を知るといった類のいわゆる人生勉強という意味ではなく、〇〇学という意味での文字通りの”学問としての勉強”のことです。そんな”勉強の損失”は、僕の場合、大学時代にほぼ集約されていると感じます。それほど僕は「勉強をまるでやらない大学生」でした。

なので最近は、電車やバスの中で通学中の大学生の姿を見ると、勉強してこなかった自分をますます悔しく思います。もちろん毎日のボイトレやレッスンの仕事、その他の生活などで手一杯であることは承知の上ですが、「今の自分に時間がふんだんにあったら、音楽以外の勉強もしてみたい」とさえ思います。

声のことに関していうならば、学生時代の自分がボイトレに目覚めていたなら、今頃はとんでもなく上手いシンガーになっていたのではないか?!なぜあの時に真面目に歌の勉強をしなかったのだろう、と考えることもあります。もっともあの頃(1990年代)には、ボイトレは今ほど身近なものではありませんでした。少なくとも僕の周りには誰一人ボイトレをやっている人なんていませんでしたが・・・

では、もし僕が大学生の頃、あの有り余る時間を持て余していた時代にボイトレの存在を知っていても・・・やっぱり僕はボイトレしなかったと思います。「声は生まれついてのものである」という先入観以前に、僕はボイトレの必要性を今ほどは感じていなかったと思うからです。クラブの定期演奏会で思うように歌えない・・・たまに出演するライブで声が不自由だ・・・、その程度の”小さな挫折”では自分の歌声に疑問を持つには不十分だったからです。

結局、僕がボイトレを始めて自分の歌声を変えようとしたのは、お店のステージで週に何度も歌う、つまり”プロのシンガー”としての活動をスタートさせてからでした。これはもう学生時代のような”小さな挫折”では済まされない話で、お客さんからお代をいただいているわけですから、僕が満足に歌えないことは”詐欺行為”に等しいとさえ言えます。事実、音楽を聴かせてお酒を飲んでいただくスタイルのお店のシステムとして、”ミュージックチャージ”をいただいています。つまり”良い演奏、良い歌”を提供することはお客さんのお支払いの中に予め含まれてしまっているのです。実際は僕自身、毎度毎度絶好調とはいかず、随分お客さんを失望させたとは思います。本当なら返金ものです。

そんなプロのシンガーとしての”大きな挫折”が、僕に重い腰を上げさせボイトレすることへと導いたことになります。ああ、なんと平凡なことでしょうか!

僕は今こんな風に考えています。若い頃、例えば大学時代の”小さな挫折=定期演奏会や自身のライブでの歌の失敗”を「こりゃとんでもない失敗だ!すぐに歌の勉強をしなければ!」と”大きな挫折”と捉え、そこから精進を始めることが出来る人こそ、本当に非凡な人なのだと思います。そんな人達は、それこそ若い時分から精進を重ね自分の声を磨いていくことに苦も無く努力できる非凡な人たちです。きっと10年後には声を自由自在に操る凄いシンガーになることができるでしょう。

元メジャーリーガーのイチローは「自分は天才ではないが、コツコツと努力を重ねることが出来る人を”天才”と呼ぶなら、自分は天才かもしれない」といった言葉を残しています。

結局、”才能の差”とはそういうものなのかもしれませんね。

仮に僕の大学時代の同輩が、当時の僕と同じような”小さな挫折”を味わっていたとします。そんな彼がその挫折にどうしても目をつぶることが出来ず、歌の勉強をいち早く始めたとするなら・・・彼こそが非凡だということでしょう。

僕は残念ながらボイトレに目覚めるのが遅く、40歳になってからでしたが、僕より20年早くボイトレに目覚める人はごまんといるはずです。彼らは非凡なのですね。

そんなことを考えながら、大学行のバス停に並ぶ新入生の列を見ていた、4月の雨の日でした。

以上、ご精読ありがとうございました。

筆者のプロフィール、ボイトレへの考え

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