【チェザリーの言葉】男性歌手の”女性的な声”は人をとりこにする。中性的な声への憧れ。

真に偉大な芸術家なら、作曲家、歌手、詩人、画家、彫刻家など、みなメンタルな性質として女性的な長所を色濃くそなえ、女性的なタッチによって男性的な技量を表現しているものなのです。典型的なテナーの美声があれほど深く、いつの世にも私たちを魅了するのは、まさにその女性的な長所のためではないでしょうか。

上記は三大ボイストレーナーの一人であるハーバート・チェザリーの著書「The Voice of the Mind」からの引用です。

この一文を読んで、私は一人で深く頷いてしまいました。私自身の好みから言っても、世間の評価から考えても確かに「女性的な長所を備えた男性歌手」は、たくさんの人を魅了していると感じます。

またチェザリーは上記の一文に続いて「猛り狂っているような、男っぽさ一本槍の大きい声のドラマティック・テナーは、人を仰天させはしますが、とりこにすることはできません。」とも書いています。

この意見は”主観”や”好み”の範疇を超えた「アンバランスなものに対する憧れ」ともいえる、人間が本能的に持っている美意識に関係しているのではないかとも思うのです。

 

女性的な声への憧れの源は「アンバランスさ」なのではないでしょうか

例えば、ステージに一人の女性歌手が立っています。彼女が歌い始めます、女性らしい艶やかな高い声で・・・「上手いなあ、素晴らしいな」とは感じるでしょうが、お客さんにとってはそれ以上の特別な驚きはないでしょう。

では、一人の男性歌手がステージに立ち、高く美しい声で(目を閉じて聴くと”性別が分からない=中性的な”声で)歌っています。それは単に「歌が上手い」以上の、何か得体のしれない感動をお客さんに与えるのではないでしょうか?それは、男性歌手が”男性的な声で”歌った時とは明らかに違う種類の”感動”なのではないでしょうか?

僕は上記の”感動”の正体は、僕たちの美意識の中に本能的に存在する「アンバランスなものに対する憧れ」なのではないかと思います。

男性的な外見や立ち居ふるまい・・・であるにも関わらず歌声は中性的だ!

その歌声のベースとなっているのは明らかに男性の声のトーンなのに、女性のようなトーンも同時に聴こえてくる!

そんな「アンバランスさ」「意外さ」に、僕たちは大きな魅力を感じるのではないでしょうか?

 

「高い声で歌いたい」→”女性的な長所”を求めているから

ボイストレーニングを受けたいと考える男性の多くは「高い声で歌いたい」という願いを持っています。

かく言う私も「高い声」の魅力に取りつかれ、多分一生かかってそんな声で歌う事を目指していくでしょう。

古今東西、たくさんの人を魅了し続けている「高い声で歌うこと」、これも根本には「アンバランスさ」「意外さ」に対する憧れがあってこそなのだと思います。

その証拠に、いつの時代でも歌声の「モード=流行」は”高い声”です。

皆、頭の中では理解しています、「声の音程の”高いか低いか”は音楽の良し悪しを決めるものではない」「高い声で歌えなくても、良い音楽は表現できる」・・・確かにそれは事実です。けれど、いつの時代でも”ある一定の人数の人たち”が高い声で歌うことへの情熱を捨てきれず、長い時間を声の勉強に費やす事もまた事実でしょう。

 

「歌声」は話し声ではない”特別なもの”

「中性的な声で話すこと」は、それほど自慢にはならないかもしれません。いやむしろそんな人はコンプレックスと感じているのかもしれません。

けれど「中性的な声で歌うこと」は、たとえそれが新年会の二次会のカラオケの席であっても、確実に賞賛の的になります。

”中性的な声”ではなく「中性的な歌声」が特別に人を感動させるのです。

人間の発声器官は「声帯を伸ばす」という働きを行なう能力を持っています。この「声帯を伸ばす働き」は、普通「話をすること」ではあまり十分には使われません。片や「歌声」が成立するためには、この「伸ばす働き」は不可欠のものであり、音質の面からは声に”繊細さ”をもたらします。また「伸ばす働き」と対をなすのは「声帯を緊張させる働き」なのですが、こちらの方は”力強さ”を声に与える役目をします。聴き手が、その歌声に対して”美しい”と感じるためには、前者の「伸ばす」働きの影響が強いのです。話し声には無くて歌声にあるもの、つまり「声帯を伸ばす」ことによって生じる音質への感銘と、「中世的な歌声」への憧れは、ほぼ同じことを意味していると、私は考えています。

 

まとめ

いかがでしたでしょうか?

「女性的な長所を備えた声」は、確かに人間の美意識に強く訴えかけるものだと私は思います。

「あなたはなぜボイトレするのですか?」という問いに対して「中世的な声で歌いたいから!」という答えが返ってきても、私は偏った考えだとは全く思いません。私自身がボイトレを続ける理由も、ほぼ同じだからです。

この記事で引用したチェザリーの言葉の中に「女性的なタッチによって男性的な技量を表現している」とあります。例えるなら、女性的なトーンの声・メロディーに対するデリケートな操作に加えて、男性的な豊かな声量や時折覗かせる荒々しさを兼ね備えた歌声、とでも言えますか。

・・・確かにそんな「美しいアンバランスさ」を聴かせることができれば、本当に素晴らしい事ですね!

 

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