歌声は”歌の楽器”の状態を映す鏡である。私の疲労を聴き分けた”良い耳”に思う、人間の耳の絶妙な力。

「ずいぶん嬉しそうな声じゃないか、何か良いことでもあったのか?」「しんどそうな声をしてるね?疲れているの?」

人の声は、かなり顕著にその人の内面や身体の状態を私たちに伝えてくれます。改めて考えてみると、人間の耳の能力の果てしない奥行きに驚きます。ある人の内面に喜びが潜んでいた時の声、ある人が困惑を抱えている時の声・・・「何となく声に元気がない」「何となく声が華やいでいる」・・・その声からは”とても微妙な”音質や抑揚の差が現れているに過ぎないだけなのに、それを私たちは絶妙に聴き分けることができます。

さて過日出演したライブでの出来事を以下に記します。

その日、私は肉体的にとても疲れていました。どのくらい疲れていたかというと、京都から会場のライブハウス(大阪)へ向かう一時間強の道のりを仮眠無しで運転することができないほどに身体がきつかったです。(風邪などではなく、ただ単に疲れがたまっており、また睡眠不足でもありました)

それでも何とかウォーミングアップとリハーサルをして・・・こんな時は中々声の調子が上がらないものです。さらに、リハーサル終了から本番までのおよそ一時間、車に戻って追加のウォーミングアップをやりました。私は疲れているとき、声の調子を上げるまでとても時間がかかります。ウォーミングアップをやってもやっても何かしっくりこない、喉と体が言うことを聞いてくれない・・・この日は正にそんな状態でした。

それでも何とか歌える状態になり、本番のステージとなりました。そこからの声の調子は「まあまあ」という感じで、「少なくともお客さんには身体の疲労を悟られずにやりすごせるぞ!」と、そんな風でした。

この夜、私たちは3回のステージを演奏しました。40分演奏して30分休憩・・・それを3回繰り返します。各ステージが終わるごとに私は直前の演奏の録音をザっと確認して、悪いところがあれば微調整することを常としていますが、録音を聴く限り”疲労は隠し通せている”ようです。

ところが、ステージとステージの合間に音響技師さんが私にこう言いました。「石橋さん、(モニターなど、音響的に)歌いにくいんじゃないですか?」

私は「いえそんなことないです。何故そう思うのですか?」と尋ねました。

そうすると彼は「実は、スタッフの○○さんが”石橋さんが歌いにくそうにしている、いつもと様子が違う”と言っていたものですから・・・」とのことでした。

確かに疲れてはいるけれど、ステージ上では元気はつらつと振舞い「歌いにくそう・いつもと違う様子」は見せておらず、長く果てしないウォーミングアップのおかげで声の調子もまあまあ。そして何よりも、ついさっき確認した録音からはそんな疲労の様子は感じられないのです。

そんな一幕もありながら、ライブは無事に終了しました。けれど私はどうしても知りたかったのです。スタッフの○○さんは、どうして”私の疲労”を察することができたのか?何をもって”いつもと違う”と感じたのか?

私は早速、店の後片付けに余念がない○○さんに声をかけて聞いてみる事にしました。

彼女いわく、私の声に「いつものような音量や音圧が少し欠けていたように思う」とのことでした。

私はとても驚きました。私が所有する”歌の楽器”は、その疲労を「音量や音圧が少し欠けている」という状態でもって、その日の声の様子として現わしていたのです。録音を聴く限り、私の耳はそれを発見できませんでした。

ここで思い出すのはフースラーによる「テープレコーダーは役に立たない。耳は欠点にすぐ慣れてしまうから」という一文です。

私は、彼女の”耳の良さ”に感服しました。(後で聞くところによると、彼女のその”耳の良さ”は充分に周囲の知るところのようです。これまでにも、彼女はその”良い耳”の能力を何度も発揮してきたようです)

 

さて、今回のエピソードから思うことは「歌声は常に”歌の楽器”の状態を現わしている」ということです。そして「それは巧みに隠したとしても、どこかでその兆候が顔を覗かせている」ということです。これはボイストレーニングが「現れてくる声から発声器官の状態を推測する」という前提の上に成り立つことから、私たちが常に気を配る必要があることがらです。ボイストレーナーは”出てくる声から発声器官の状態を判断する”のみならず、「巧みに隠されている、その裏側」をも聴き分ける能力が必要です。

 

以上、ご精読ありがとうございました。

筆者のプロフィール、ボイトレへの考え

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