「僕は高い声で歌える」と信じていた春のある日。”高い声が出る”と”高い声で歌える”は雲泥の差。

桜満開の街を歩いていると、もう30年余り前になりますか・・・大学に入った直後のことをいつも思い出します。春の暖かい空気と匂いには、昔を思い出させる不思議な力があるようです。

僕は小学校から高校まで、ずっと地元の学校に通い続けていました。小学校時代の友達のほとんどは、そのまま同じ中学へ。また中学校時代の友達の多くも同じ高校へ進学するので、「新しい環境の中、見知らぬ人たちに混ざって新生活を始める」ということは経験せずに高校までを過ごしてきました。

けれど大学はそうはいきません。僕が通っていた高校からも何人かその大学へ進学しましたが、あいにく親しい友人ではありませんでしたので、僕はほとんど独りぼっちの中、大学生活をスタートさせることになりました。

朝晩はまだ肌寒い時期でした、独りぼっちで寂しく大学の食堂で昼食を食べていた記憶が蘇ります。「これはクラブにでも入らんと友達も出来んなあ!」と真剣に考えて、いくつかのクラブを見て回り、結局軽音楽部(名称は”フォークソング愛好会”でしたが)へと入部し、幸い多くの友人に恵まれ楽しい大学生活を過ごせることとなりました。

僕が通っていた大学はグリークラブがとても盛んでした。グリークラブの練習はもちろん毎日厳しく行われ、毎年全国大会で入賞するほどの好成績を収めていました。(グリークラブとは、男性だけで構成される合唱団のことです)

毎年4月初旬、その年の新入生が入学してくると同時に、大学内では”クラブ勧誘”も盛んに行われます。どのクラブもビラを手に大きな声を張り上げ、新入部員を求めて”新入生とおぼしき生徒”に声をかけてまわるのです。

僕もいろいろなクラブから勧誘を受けましたが、中でもグリークラブからは熱心な誘いを受けました。・・・というのも、こんな顛末だったのです。

ベンチに座っていた僕にグリークラブの勧誘員さんが声をかけてくれました。

勧誘員さん「新入生だね。クラブは決まったの?」

僕「いえまだです。ずっと音楽をやってきたので、できればそっち系のクラブに入りたいと考えています」

勧誘員さん「じゃあ、グリークラブの部室を覗いていきなよ!」

・・・ということで僕はグリークラブの部室へと案内されました。部室では練習が行われていましたが、その勧誘員さんは「良かったら君の声を聴かせてほしい」と言いました。今から考えると大変バカげたことですが、当時の僕は”歌に自信があった”ので「しめしめ、ちょっと歌って驚かせてやろう」ということで、少し歌ってみました。

すると・・・予想に違わず、その勧誘員さんはとても喜んでくれました。「君、凄く高い声が出るんだね!ぜひグリークラブに入りなよ」と、とにかく色々褒めてくれました。僕は「そうだろそうだろ!」という感じで、少々得意になっていました。

結局、僕はグリークラブに入部することはありませんでした。僕の好きなジャンルはロックだったし、それに楽器を弾きながら歌うことを前提としていたし・・・もしあの時グリークラブに入部していたら、僕のその後の人生は大きく変わっていたと思います。

あの日、勧誘部員さんの前で得意げに高音で歌ってみせた僕ですが、恥ずかしいくらい幼稚な発声だったと思いますよ!音が高くなるにしたがって大きな声量で張り上げていたでしょうし、声の音質を気に掛ける余裕なんてまるでなかったはずです。何しろ歌の勉強なんて何一つしていなかったのですからね!

けれど僕は恐れ知らずだったのですね。「僕は歌がうまい。僕は高い声で歌える」と信じていたのです。

けれど、あの頃の僕は「高い声で歌えていた」のでは決してありません。自分でよく覚えています。バンドで歌っていても、いつも僕の声はすぐに出なくなっていました。高音で音質や音程のコントロールなんて全然できませんでした。あの頃の僕は、そうですね・・・せいぜい「高い声を出せていた」に過ぎません。高い声を”出す”なんて誰にでもできることですね。けれど高い声で”歌う”ことはとても難しいことです。高い声で”歌う”・・・これは大変なことなんです。とても勉強や練習なしにできることではない、と今の僕にはわかります。

グリークラブの部室で高い声を”出して”みせたあの日、部室に集まっていた他の部員さんは、しっかりとアカデミックな練習をしていたはずです。どのような発声メソッドだったのか?それが正しいメソッドだったのか?は、今となっては知ることができませんが、少なくとも”歌に関して何の勉強もしていない”高校を出たばかりの僕には想像もできないほど、声に関して真剣に向き合っていたはずです。そんな人たちの傍らで僕は高音を張り上げ「こんな高い声を出せる僕って凄いだろ!」なんて考えていたわけですから、恥ずかしいですね・・・今となっては。僕の発声を聴いていた他の部員さんは心の中で呟いていたかもしれませんね「あの新入部員候補、きっと自信満々なんだろうな。無茶苦茶な発声なのになあ、かわいそうに」なんて憐れんでいたのかもしれません。

勉強もせずに、練習もせずに、自己満足で悦に入っていては先がありませんね。今の僕にはよく分かります。

春の暖かさの中、ふと昔の記憶が蘇りました。

 

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