「歌が上手くなるために必要な事は?」「歌の上手い人がやっている事は?」「ボイトレに行って最初に習う事は?」
こういった質問をすると、多くの人は「腹式呼吸」と答えるかもしれませんね。
それほど「良い声=腹式呼吸」の概念は一般的に流布しています。
俗にいう「お腹から声を出す」と並んで「声量のある声」「安定した声」「太い声」の代名詞です。
そして「高い声が出ないのは腹式呼吸が出来ていないからや!」と思い込んだり、実際にレッスンで呼吸法の改善を指導される方もいらっしゃいます。
今回は、その誰もが知っている「腹式呼吸」についての記事となります。
過去にボイトレ経験のある人に「どんな練習をしていましたか?」と尋ねると、ほとんどの方が「腹式呼吸とか・・・」と答えます。しかし、最近では「腹式呼吸不要論」も、少し根付いてきたように感じます。
お付き合い下さい。
息の量を増やす「腹式呼吸」
声帯はその振動のスピードが早ければ早いほど高い音を出すことが出来るので、声帯にぶつける息が多くて勢いがあれば、それだけ高い声は出ます。
そして、そのたくさんの息を吐くために呼吸の方法を考慮し鍛えていこうという方法は、減ってきたとはいえまだまだ多くの人が実践しています。
つまり「腹式呼吸だから高い音が出る」のではなく「高い音を出す為に必要な息の量を得るために腹式呼吸が必要」とでもいいましょうか。
言い換えれば、息がたくさん吐ければ「胸式呼吸」であれ「○○呼吸」であれ構わないのです。
腹式呼吸云々はいわば「息の量によって音程を稼ぐ」方法です。
この方法で出てくる声は、音程が高くなればなるほど太く大きくせざるをえません。
そして高い音では細かな音程の調整や母音を響かせる、といった歌の美醜そのものを決定づけてしまうような要のテクニックは使えません。
エネルギー的にもイメージ的にも息を下から突き上げる事しかできないので、油断したり疲れたりすると最高音はすぐにフラットしてしまうでしょう。
また、連続して長時間歌う事もできません。
この方法に頼っていると、身体の全身状態がもろに声への影響として現れてしまうので年がら年中、好不調の波にさらされることになります。
さらには、とても繊細で危うい器官である声帯を大量の息によって酷使することになるので、常に声帯結節や声帯ポリープなどの心配を抱えてしまいます。
特徴をまとめると・・・
・高い音程を歌う時に繊細なテクニックが使えない。
・高音で音量調整ができないので、無駄な「声量感」が出てしまう。
・音程もフラットしがち。
・呼吸に頼る、という特性から身体の好不調が声に現れてしまう。
・連続運転も不可能。
・声帯を酷使するので、喉の病気になりやすい。
・極めて不健康な発声方法。
・経年劣化も激しい。
このようにあんまり良いところは見つかりません。
腹式呼吸神話
時々「地声のまま高いところを歌いたい!」という方がいますが、それは声の生理としては100%無茶なことです。
そしてそんな事をする必要は全くありません。
高い音程を太く歌う歌手は地声を持ち上げて歌っているわけではなく「裏声の領域の中で地声が活発に動き回って」いるだけです。(太く高い声を出すベルティング発声というテクニックもありますが、これは健康的で生理的に正しい発声の基礎があってのものです)
むやみに「歌はフィジカル勝負!」みたいな考えに偏りすぎると、この「腹式呼吸で息をたくさん吐く」「腹筋を鍛える」「百科事典をお腹にあてがって、それに反発して発声する」等々の体育会的練習のスパイラルに陥ってしまいます。
「お腹の下の方を膨らませて歌うと声が良く出る」と言われる事があります。このアドバイスは「声が良く出ている人のお腹を見ると、下の方が膨らんでいた。そうだ!お腹の下の方を膨らませて歌うと声が良く出るんや!」という事が所以だったのかもしれません。もちろん、お腹の下の方を膨らませたからといって、声が良く出るとは限りません。その人にとって「お腹の下の方を膨らませる」事は「手を前にかざして歌う」や「目をつぶって歌う」などのように、単に「声が出ている時の身体の状態の現れ」に過ぎなかったのでしょう。
仕事をするのはあくまでも「喉」
腹式呼吸は「吐く息の量を均一化して安定させる」「息の支えを作る」等という考え方もありましょうが、ボイトレにおいては喉の機能の回復・強化を第一に考えるのが一般的・伝統的です。
呼吸の問題は「良くて」2番目以降です。
「ストレッチと腹式呼吸に30分、発声は15分だけ」これはもうボイトレではありません。
よって僕のレッスンでは腹式呼吸云々のトレーニングはいたしません。
歌う時に呼吸を意識すると他の部分に必ず硬直が起こります。
なので鼻歌を歌ったり会話をしたりする時と同様に自然な呼吸さえ心がけてくだされば、と思います。
レッスンにおいても自主練においても、重要な事は「出てくる声」から想像できる「喉の状態」です。
呼吸の練習が億劫でボイトレが嫌になってしまったら、せっかく野球部に入ったのに球拾いだけやってやめちゃうようなもんです。
レッスンで発声してもらって、その声が意に沿ったものなら、それは呼吸が「腹式」であれ「胸式」であれ、日頃の練習が上手くいっている証拠です。
もし、呼吸に多くの時間を割くような練習ならすぐに見直していくべきだと思います。
ボイトレは結局、声を出さないと、声を聴かないと何も分かりません。
以上、ご精読ありがとうございました。