あなたの「高音」「高い声」は”聴かせどころ”になっていますか?”欠陥”になっていませんか?

「本」(書物)というものは、人によって読むスピードが随分違うものですね。

分厚い小説を数時間で読んでしまう人もいれば、何日もかかってじっくり熟読する人もいます。

また「初回はサーっと読んで、二回目に深く読み込む」という人もいます。

因みに僕は読むスピードがとても遅いのですが、できるだけ何度も読み返すように心がけてはいます。もちろんボイトレ関連の本も何度も読み返すようにはしていますが、書いてあることが難解なものもあり、中々に時間がかかります。

 

さて、先日「ベルカント唱法~その原理と実践」(コーネリウス・L・リード著、このブログでも何度か引用させてもらっています)という発声関連の本を読んでいたところ、ある一文に目が留まり、少し考えさせられる瞬間がありました。

それは「歌唱の中で最も美しい装飾のひとつであるべきアジリタが、最も深刻な欠陥のひとつとなってしまう」という一文です。

※アジリタとは、とても細かい音符をコロコロと動きまわって歌われる、歌の中でも“とても難しい”箇所のことです。

「現状の喉の能力」と「求める音楽性」のアンバランスさについて考えさせられる一文でした。今回は、そんな書き出しでこの記事をスタートしてみます。

お付き合いください。


発声が安定する以前に難しいテクニックを学んではいけない

さて、冒頭に引用した一文は「初心者は、音から音への移動の練習は常に“ゆっくりと”行うことが鉄則である」という文に導かれて書かれています。

つまり「発声が未熟なうちから難しいテクニックを学んではいけない。仮にそんな“分不相応な”テクニックを使った歌を歌ったら、本来なら“聴かせどころ”になるはずの箇所が“欠点”にしか聴こえない」という意味です。

僕はこの一文を読んだとき、今ほとんどのボイトレ学習者の憧れである「高い声で歌うこと」は、正にこれにあてはまるではないかと思いました。

 

ボイトレ界を常に支配する「高い声信仰」

ボイトレ関連の本のタイトル、ボイトレ教室のキャッチコピー、そしてボイトレ学習者の一番のニーズ・・・その代表的なものは今も昔も「高い声で歌いたい」に尽きるのではないでしょうか?

レッスンをしていても、やはり「高い声」に憧れる生徒さんはとても多い印象です。

そして、ボイトレ学習者としての僕自身もずっと「高い声」に拘って練習を続けてきました。

「高い声で歌うこと」には、そんな皆を惹きつけてやまない魔力があり、それは「歌う音程の“高い・低い”は、音楽や歌唱の”良し悪し”には関係ない」と正論を言ってみても、これから先も多分ずっと変わらない・・・そんな「高い声信仰」の根強さを感じます。

ではなぜ皆はそれほどまでに「高い声」に憧れるのか・・・それはシンプルに「難しい」からでしょう。

それは冒頭で引用したオペラの「アジリタ」と呼ばれる箇所が「難しい」ことと同じです。

やっぱり、それが難しければ難しいほど、人は強く憧れるものなのです。

 

けれど、簡単には手に入らない「高い声」

声は二つの声区(裏声・地声)から成り立っています。もちろん音程の低い方が地声、高いのは裏声です。

この二つの声区をそれぞれ使い分けて、低く歌う時は地声で歌い、高く歌う時は裏声で歌う・・・そんなに簡単なものなら誰も苦労しないのですが、実際はこの二つの声区を“融合”して一本化しないことにはとても自由には歌えません。

特に高い音程は「裏声に地声が侵食する」ことが必要で、そうならなければ“力強い高音”を手にすることは出来ません。

ボイトレが進み、ある程度声区融合が起こってくると地声が裏声に覆われてきます。つまり「地声に裏声が侵食する」という状態が生まれてきます。

 

訓練不足で高い音程を歌う・・・高音が「最も深刻な欠陥」と聴こえてしまう

さて、そんな「高い声信仰」は、当然ながら歌の嗜好にも大きく関係してきます。

つまり、皆が歌いたがる歌は「高音の歌」であり、その聴かせどころは当然「高音の箇所」ということになるでしょう。

けれども上述したように「高音は難しい」のです。

例えば、友人のライブを聴きに行った時、ボーカリストの歌を聴いて「無理して高いキーで歌わなくてもいいのに・・・」と感じることはないでしょうか?

これは正に「本来は聴かせどころであるはずの高音部分が“最も深刻な欠陥”になってしまっている」と言えるでしょう。

皮肉な言い方になってしまいますが、その歌が「あの高音さえなければ、上手いのに!」という印象さえ与えてしまうことも、充分に考えられます。

 

まとめ

いかがでしたでしょうか?

上の項で書いたように、ライブで歌うボーカリストを見てお客さんが「高音が良くない!」と感じてしまったら、それは「高音に挑戦したが、失敗した」に過ぎません。

残念ながら、その高音は「聴かせどころ」にはならず「欠陥」という印象を与えてしまっているのです。

そのボーカリスト個人にとっては「勇敢な挑戦」ではありますが、“音楽”としては失敗なのですから、何か上手くやる方法を見つける必要があります。(たとえ不本意でも、高音部分を「ファルセットオンリーで」歌う選択も必要かもしれません)

高音を自由に歌えることを夢見て日々のボイトレに精進することはもちろん必要です。

けれど、その過程で「ライブ」という発表の場を通るのなら、”音楽“として成功する方法を探さなければならないと思います。

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以上、ご精読ありがとうございました。

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