細かいところに”目が届く”練習を。ボイトレを雑にしない、先生役はあなた自身です

目が届く

常時注意を向けることができる様子。注意が届く、注意が行き渡る、何かあれば気づく、注意が及ぶ

何かを習得しようとする時「毎日、少しでも」やり続けることは、とても大切です。

スポーツでも音楽でも、人とは違う領域に行ける人、人と差をつけることが出来る人は、皆「毎日、少しでも」やり続けることが出来る人なんだと思います。

けれど「毎日、少しでも」練習を続けることが出来たとしても、肝心の「練習の質」が疎かになってはあまり意味がありません。

やはり「継続」は「質を伴ってこそ」、実りが大きくなります。

さて、この記事では、ボイトレを継続することにおける「練習の質」について書いてみたいと思います。

お付き合いください。


自主練習は、自分自身が「監督役」になる

少し話は逸れますが「重箱の隅をつつく」という表現は、良い意味では使いません。

「本質的でない事項について追及する」「粗探しをする」「揚げ足取りをする」といった”どうでもいい事にこだわる”という意味を指すようです。

一方、この記事の冒頭で書いた「目が届く」という言葉には「慎重」「丁寧」といったニュアンスが含まれており、良い意味で使われます。

レッスンでは先生があなたの声に細心の注意を払ってくれます。けれど、監督役のいない自主練習ではあなた自身があなたの声に対して「目が届く」監督役を引き受けなければなりません。

声の出し始めに雑音が入った・・・少し喉の感覚を変えてやってみると雑音が消えたので、その感覚を覚えておく・・・「音質」と「感覚」の両方の面で、自分の声に対して注意が行き届いていれば、質の高い自主練習ができると思います。

 

ボイトレに大切な「目が届いた」声の聴き方

ボイストレーニングには「奇声を発する練習」「物真似の練習」など、どちらかといえば”大らかな”練習もある一方、とても慎重に丁寧にゆっくりと行わなければならない練習もあり、当然それらは最重要の課題です。

例えば・・・レジストレーションの練習(裏声と地声をゆっくり繋いでいく練習)や母音の純化の練習(イ~エ~ア~オ~ウという風に、各母音をゆっくりと繋ぐ練習)は、”慎重に丁寧にゆっくりと”行わないと効果が望めません。

上に書いたような練習は、とてもしびれが切れるため、ボイトレ学習者の間では敬遠される傾向がありますが、もちろんトライすべき必須の練習メニューです。言い換えれば「人が嫌がる練習」だからこそ、時間をかけてじっくりと取り組む価値があるともいえます。

「目が届いた」声の聴き方をして、破綻しないようにゆっくりとゆっくりと声区や母音を慎重に繋いでいく・・・こういう練習を繰り返すことで、喉の機能回復はどんどん促進されていきます。”雑”にやっては意味のない「目を届かせる」必要のある練習です。

「裏声を出す喉の状態」から「地声を出す喉の状態」へ、また「イ母音を出す喉の状態」から「ア母音を出す喉の状態」へ・・・グラデーション的に喉の状態を変化させるには”喉が持ちこたえて”、反対方向へ上手く橋渡しする必要があります。こういう練習が喉の機能を目覚めさせ、より強固なものへと導いてくれます。

 

練習とは、本番では見過ごされることにも「目が届く」ようにすること

野球のピッチャーの練習風景を思い出してみてください。

鏡に向かって・・・一切のフォームの乱れを排除し・・・体の傾きや重心を嫌というほどチェックする・・・そんな風に「目が届く」練習をしてきたピッチャーが、試合の時に練習と寸分たがわぬフォームで投げているとは思えません。

けれど、上に書いたような”ウンザリするような細かい練習”をしてきたからこそ、本番でのフォームの狂いを最小限に留める事ができるのでしょう。

ボイトレでも、本番と同じスケールで練習をするのではなく、より小さなスケールの(細かく丁寧な)練習をやっておかなければなりません。

練習で細かさや丁寧さが足りないと、本番ではもっと荒っぽく雑になってしまうでしょう。

 

まとめ

いかがでしたでしょうか?

この記事に書いた事は、僕自身のトレーニングへの戒めでもあります。

毎日のボイストレーニングは、ともすれば「雑」になりがちです。

「これ以上ゆっくり出来ないのか?」「これ以上丁寧に繋げないのか?」・・・時々そんな風に自問しながら、自分自身が良い監督役になりたいものです。

 

以上、ご精読ありがとうございました。

筆者のプロフィール、ボイトレへの考え

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