【ボイトレ格言】経験による確証、声のバリエーション、歌い出しのテンポ、発声の癖

「人は経験から学ぶ」とはよく言ったものです。

世界中のあらゆる情報がインターネット上に溢れるようになってから久しく、全ての人が平等に全ての知識を得られる、そんな時代です。

けれど「最終的にものをいうのは、これまでに培ってきた経験である」という原則は変わりません。

まさに「100の知識より、1の経験」なのですね!

 

さて、「モナリザ」で知られる”人類史上最も多彩な人物”、レオナルドダヴィンチの残した言葉には「経験」というキーワードが何度も登場します。

この記事では、そんなレオナルドダヴィンチの残した言葉から「ボイトレ・歌における経験の大切さ」について等、色々書いてみたいと思います。

私の仕事は、他人の言葉よりも自分の経験から引き出される。

経験こそ立派な先生だ。

「ファルセットを出している時の筋肉の状態は?」「地声を発声している時の声帯は?」「ミックスボイスではどう変化する?」・・・こういう事を”知識”として持っておくことはもちろん大切なことだとは思いますし、スマホさえあれば、どこでも誰でも喉の中身の解剖学的な図を瞬時に閲覧することが出来る時代です。

けれど、”人間の喉の神秘に挑戦する”ボイストレーニングという特殊なジャンルは、「耳」と「経験」だけから発展してきた、という歴史的な事実があります。17世紀のボイトレ最盛期、その時代のボイストレーナーたちは「耳」と「経験」からだけで何人もの歌手の声を救ってきたそうです。

そんな昔のボイストレーナーたちの仕事は、まさに「他人の言葉よりも自分の経験から引き出され」ていたことでしょう。

この時代のボイストレーナたちは喉の解剖学的な図を見る機会はあったのでしょうか?ひょっとすると見たことがなかったか、興味さえ持っていなかったのかもしれません。

 

その理論が経験によって確証されないあの思索家たちの教訓を避けよ。

先述した”昔のボイストレーナーたち”は、たくさんの素晴らしい声を持つ歌手を育て上げましたが、その教えは「裏声と地声を分離し、それぞれを鍛え、再び融合する」(分離・強化・再融合)を基本理論としたものでした。以外にもシンプルなレッスンだったのかもしれませんね!けれどそんなシンプル極まる「分離・強化・再融合」という理論は、経験によってしっかりと”確証”されていたからこそ、確実な成果を歌手たちの喉にもたらすことができたのでしょう。

 

経験の弟子、レオナルド

レオナルドダヴィンチは自らをこう称していたそうです。上に引用した「経験こそ立派な先生だ」と同じ意味にとれます。

 

以下は「経験」というキーワードからは外れますが、レオナルドダヴィンチが残した言葉のうち気になったものをいくつか書いてみます。

美しいものと醜いものはともにあると互いに引き立て合う。

「太く豊かな声」「鋭く細い声」「濁りのない澄んだ声」「荒々しい歪んだ声」・・・カラーの違う色々な声の音質を操ることで歌には無限の色彩が加わります。

全編ほぼ「きれいな声」で歌われる歌でも、ある部分だけ「歪んだ声」が加わることによって、その歌の表現としての奥行きはグッと深くなるものです。これこそ「互いに引き立て合う」ということではないかと思います。

「全編バラードばかり」「全編激しい歌ばかり」・・・そんなライブよりも多彩な曲調が散りばめられたライブの方が心に残るものになると思います。これも「互いに引き立て合う」一例です。

 

十分に終わりのことを考えよ。まず最初に終わりを考慮せよ。

これは、歌う時には特に気に留めておきたい言葉です。

上手く歌うためにはその曲の”設計図”が頭に入っていなければなりません。サビはどんな感じなのか?後半部分で転調はあるのか?・・・曲全体の流れを思い描いてから歌うのと、ただ何となく歌い始めるのとでは歌の完成度・整合性は全く違った結果となります。(ランナーが、ゴール前の坂道を想像しないままマラソンのスタートを切るようなものです)

また、歌は「終わり方」から逆算するものという考えもあります。例えばテンポの問題・・・ほとんどの西洋音楽は”微妙に加速する”ことが自然な曲想だと考えられています。(演奏者や歌手の”鼓動”も、曲が進むにつれて微妙に早くなって当然です。つまり”出だしよりテンポが上がる”ことはむしろ自然なことなのです) もし「終わり方」や「曲の後半のテンポ」を考えずにただ闇雲に早いテンポで歌い始めてしまったなら・・・とるべき手段は(どちらも正しくない)2つです。「自然な欲求に逆らって、曲の後半でテンポを落とす」か「そのまま突っ走って、曲の後半で不自然なほど早すぎるテンポになる」か・・・やっぱり音楽は”まず最初に終わりを考慮”するべきなのです。

 

顔に人間の性格、人間の癖や性質を部分的に示す特徴が見られるというのは真実である。

この言葉は正にボイトレにもぴったりと当てはまります。

ボイトレ学習者の声は皆それぞれ違う性質を持っていますが、それは喉の機能の「これまでの使われ方や発声の癖」「喉の筋肉の優勢な部分と劣勢な部分」などがそのまま現れたものです。

つまり、顔にその人の癖や性質が現れることと全く同じことなのです。

 

以上、ご精読ありがとうございました。

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