「何回も歌う」練習は無意味、喉に足りないもの・声に欠けているものを考える

僕は子供の頃から歌う事が大好きでした。

テレビから流れてくる音楽に合わせて歌ったり、街で流れているBGMに合わせて歌ったり・・・まあ、子供は大抵そんなものなのでしょうけれど。

そのうちギターを覚え、バンドを組んでライブで歌うようになりましたが、それでも多くて月に1回程度です。その頃は練習や本番をきちんと録音する訳でもなく、また誰かにアドバイスを求める訳でもなく、ましてやボイストレーニングをしようなんてこれっぽっちも考えた事はありません。

今から思うと、その頃のライブの音源を残しておくべきでした。(中にはとても几帳面な人もいて、全てのライブのアーカイブを作っている人もいます。素晴らしい事です!)おそらく聴くに堪えないような酷い歌だったとは思いますが、その後のボイトレによって僕の声がどう変わったかを知るには絶好の教材なのですが・・・自分の行き当たりばったりさが悔やまれます。

僕は高校から大学、そして勤め人になってからもずっとバンドは続けていました。その頃になると音域やスタミナの問題で歌う事が難しい歌にもどんどん出会うようになってきます。

そんな時、初めて「歌を練習しなければ!」という発想になる訳ですが、当然どうやっていいか分かりません。

そもそも「歌を練習する」という発想自体が当時は希薄だったように思います。例えば「ピアノは必ず習わないと弾けるようにならない」という”常識”と同じくらい「歌は才能で歌うもの」という”常識”がまかり通っていたと感じます。ネットもない時代です。その間違った”常識”を覆す情報を得る機会もありませんでした。

そんな時にとった僕の行動は・・・今回はそんな内容で書いてみたいと思います。

お付き合い下さい。


歌えるようになるまで「とにかく何回も歌う」

僕は大学時代は「フォークソング愛好会」というクラブに所属していました。

クラブの名前をみるとフォークギターを片手に弾き語りをする大人しい集まりなのかと思われるでしょうが、中身はいわゆる「軽音楽部」です。もちろんバリバリのヘビーメタルやパンクバンドの人もいて、逆にフォークソングを歌う人なんか一握りだったように思います。(なぜそんなクラブ名が付いていたのかは謎のままです)

そのクラブに入部した一年生は、「歓迎ライブ」に出演する慣わしがありました。クラブの先輩が主催するこのライブで新入部員は順番に演奏や歌を披露して、先輩からアドバイスをもらったり交流を深めたりする、そんなライブです。

演奏する曲は新入部員が自由に選べるので、僕は当時新譜だったポールマッカートニーの「Figure Of Eight」という曲を選びました。選んだ理由はもちろん好きな曲だからという事と、家で遊びで歌っていても「難しい歌」だという印象はなかったからです。

ところが、いざちゃんと練習してみると「かなり難しい」という事が分かってきます。

おそらく家で遊びで歌っていた時は、大きな声も出さず、途中で止めたり途中から始めたり・・・ちゃんと歌っていなかったからだと思います。当時の未完成な僕の喉では、1回歌うごとに恐ろしい疲労が喉に蓄積されていくのです。

正直にいって、練習の段階から「選曲を失敗したなあ!」と思いましたが、この歓迎ライブは先輩たちが手分けして新入生のバンドに加わるという方式でした。つまりベースとボーカルを担当する僕以外のパート、ギターやドラムやキーボードは先輩たちがサポートしてくれます。そしてもちろん先輩たちは「Figure Of Eight」をすっかり覚えて準備万端なのです!

結局、僕がやった練習は「繰り返し何度も歌うこと」だけです。何も知らない僕には、そうする事しか方法がなかったのです。

結果はもちろん失敗です!本番で僕は声が全然出ませんでした・・・

 

理詰めで考える事が、結局は近道です

上記の「新入生歓迎ライブ」の失敗談を次に生かせられればよかったのですが、僕は相変わらず歌に関しては人に教えを乞うようなことをしませんでした。

すぐに人に教わったりボイトレ教室を探したりしなかったのは、やはり僕の中に「僕は歌が上手いんや!」という根拠のない思い込みがあったせいだと思います。

結局、その後ずっと僕がやってきた練習は「繰り返し何度も歌うこと」だけです。「何回も歌えばそのうち歌えるようになる」と、心のどこかで信じていたのでしょう・・・

今になって思うことは、やっぱり「上手くいかない事にはそれなりの理由がある」という、全てのことに共通する原則のようなものを全く無視していました。

それに、時代のせいにするわけではありませんが「ボイストレーニング」なんていう言葉は、本当にプロを目指す一握りの人の為だけにあるようなイメージだったのだと思います。歩いていてふと見上げた「ボイトレ教室」の看板をきっかけにするか、大型書店の「ボイトレコーナー」に行って本を買ってきて自分で練習する、といった超能動的な行動でしか「ボイトレ」の四文字を身近にする機会がなかった時代でした。やはりネットの力は偉大だと、つくづく思います。

体育会的な練習も全く無駄ではありません

繰り返し歌った事も全く無駄ではありませんでした。

少なくとも「そんな方法では歌えるようにはならない」「未熟な喉はすぐに疲労する」「喉の回復には膨大な時間がかかる」「下手をすると声帯結節になってしまう」・・・失敗から学んだこともないではありません。

 

まとめ

長いボイトレ生活の最初の頃に「何度も歌ってみる」といったスポコン的な発想で練習する事も全く無駄ではないのかもしれませんが、最終的には「頭で考えて練習する」方向に向かっていかなければ、決して上手くはいきません。

「頭で考える」とは、「喉の筋肉の名前や動きを覚える」という事とは違います。

「自分の喉に足りないもの」「自分の声に欠けているもの」を確かな耳で分析して(または分析してもらって)、それに見合う練習をするというとてもシンプルな考え方で良いと思います。

上記の「新入生歓迎ライブ」の例では、元も子もなく「喉の機能回復」、つまり正しいボイストレーニングの経験が僕にはまるで足りませんでした。決して「発声のコツ」とか「声の出し方」とか、そういう目先の細かいテクニックが足りなかったのではありません。シンプルに「喉の未熟さ」が原因です。

上述したように、幸いこのネット時代にはそんな「正しい情報」が溢れています。

 

以上、ご精読ありがとうございました。

筆者のプロフィール、ボイトレへの考え

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