部品は揃っているけれど、未だ組み立てられていない「歌の楽器」。シンガーの不憫。

楽器演奏、特にクラシック音楽の楽器のためのレッスンには、「マスタークラス」と呼ばれる形態があります。
「マスタークラス」の概念は、人によって多少異なると思います。著名な演奏家から受けるレッスンのことを、「マスタークラス」という場合もあるでしょうけれど、私は「著名な(しかも、現役の)演奏家から、直接指導を受ける機会。また、レッスンを受ける人(つまり生徒)の方も、すでに演奏家として活躍しているか、これから活躍を期待されている人である」と解釈しています。

巨匠が真ん中にデンと座り、生徒は一人ずつ彼の傍に呼ばれて演奏をする。巨匠は生徒の演奏の「音楽的な欠点」に対して、重要な指示を与えていき、生徒は自分の演奏の「音楽的な側面」を向上させることができる、そういった内容のものです。
上記で、私が「音楽的な欠点・側面」と強調した理由は、普通、巨匠は生徒の「楽器の弾き方」には、まるで手を加えないからです。私がユーチューブで見た、クラシックギターの巨匠たちによるマスタークラスの内容は、そうでした。

「マスタークラス」において、巨匠たちが「楽器の弾き方」ではなく「音楽の解釈」だけを指示する理由は、「マスタークラスに参加している生徒の演奏技術は、もうすでに完成している」からだと思われます。

マスタークラスに参加しようなどと考える人が、その日の課題曲の中に「弾けない箇所」などあるはずはないのです。(私が観た、クラシックギターの巨匠・アンドレスセゴビアのマスタークラスには、イタリアのギタリスト・オスカーギリアの姿があります。ギリアはその後、世界的に活躍するギタリストの一人となります)

また、時には、生徒の「機械的な」演奏技術は既に巨匠のそれを超えている場合すらあるのです。(音楽における”巨匠”の冠は、機械的な演奏技術の素晴らしさに対して与えられるものではありません。)
「マスタークラス」とは、巨匠から生徒へ、その「音楽性」を伝承させるものなのです。

ここで、私たちが注目したいのは、マスタークラスを受講する生徒たちが抱えている楽器の「完全さ」のことです。

上記のようにマスタークラスに参加しようと考える人が、安くて質の悪い楽器を手にしているはずはありません。すっかり調整され、完全に部品が組み立てられた、良い音色を出す、素晴らしい楽器ばかりです。彼らに「楽器は組み立てるもの」などという発想が無いのは当然のことなのです。

さて、私たちが操りたいと願う「歌の楽器」は、実は、それ自体が私たちの身体の中には「常には」存在しません。

けれども、その楽器を構成する各部品を、私たちは普通に持っています。それは、喉そのものであったり、その周りの筋肉であったり、身体の他の部分の筋肉であったり、とにかく揃っている部品を組み立てることができないことが、私たちが満足に歌えない理由なのです。

私たちは、他の楽器の奏者と比べたとき、「不要で手間のかかる準備」、つまり「楽器の組み立て」さえ、自らの努力でやらねばなりません。

このことを考えるとき、歌手はなんて不憫なんだろう、とさえ思えてきますが、その先には、「歌う楽器」という、宇宙一の素晴らしい音色を奏でる道具が、私たちを待っていてくれるのです。

 

以上、ご精読ありがとうございました。

筆者のプロフィール、ボイトレへの考え

PAGE TOP