【歌唱サンプル】一部日本語が入った英語の歌。歌における母音の使い方に言語の差はない。

日本語で歌われる歌でも、”サビの部分は英語”という歌はとても多いと思いますが、逆のパターンの歌、つまり「英語の歌だけれど、サビだけ日本語」という歌も、やはりあります。

英語圏の人にとって、日本やその他のアジアの国はとても神秘的な場所に感じられるのでしょうね。僕は京都に住んでいますが、京都は外国人観光客がたくさん訪れる都市です。街を歩いていても外国人の方とすれ違わない日などあり得ず、時には「この京都には日本人より外国人の方が多いのではないか?」とさえ感じるほどです。

そんな外国人観光客の皆さん、複雑な漢字がデザインされたTシャツがお好みのようです。僕は「葡萄」と書かれたTシャツを着ている人を見掛けたことがあります!多分、意味なんかあまり問題にはせず、「葡萄」という漢字の”フォルムの美しさ”だけで選んだのでしょうね!

さて、話を歌の方に戻します。今回は「英語の歌だけれど、サビだけ日本語」という歌を選んでみました。

取り上げた曲はイギリスのバンド「キングクリムゾン」の「待ってください」という曲です。「待ってください」は邦題などではなく、原題も「Matte Kudasai」となっていて、実際にサビの部分では「Matte Kudasai」と歌われています。

この曲、どことなくオリエンタルな感じがしないでもないですが・・・そんなにあからさまな東洋趣味の曲調ではありません。どちらかというと彼らも、歌詞に意味を持たせることよりも「Matte Kudasai」という”言葉のサウンド”が気に入ってこの曲を作ったのではないでしょうか?いわば、上に書いた「葡萄」の例と同じく、”フォルムの美しさ”のみに注目したのかもしれません。

では、まずお聴き下さい。(実際はとても”エレクトリックな”印象の曲ですが、僕はアコギで弾き語りしています)

英語も日本語も「歌声を乗せるための言葉」という点で違いはない

さて、この曲を改めて歌ってみて思う事は「歌における言葉=母音の使い方に、言語による違いはない」ということです。いや、もっと正確には”言語による違いを作ってはいけない”ともいえると思います。

この曲「待ってください」は、前半はもちろん英語で歌われます。けれど突然「Matte Kudasai」という日本語が挿入されますが、この前半と後半を「英語と日本語」という”言語で分ける”といった考え方では響きに統一感が生まれず曲の流れが分断されてしまい、うまく曲想をこしらえることができません。

むしろ言語の境目は作らず、英語も日本語もシンプルに「歌声を乗せるための言葉」という認識で歌うと、一見唐突で違和感のあるように感じるこの「Matte Kudasai」という言葉を、曲の流れの中にスムーズに収めることができます。

 

母音の使い方に言語の差はない

歌声にとって”母音”の問題はとても大きく、ボイストレーニングにおいても常に頭の片隅に置いていなければなりません。

17世紀のボイストレーナーは、生徒が発する母音が「美しく響いているか」について何よりも注目して、母音の響きを改善することで生徒の喉の機能面にまで手を加えることが出来たとさえ言われています。(このことは、僕を含めたほとんどの「ロック・ポップス系」のボイトレ学習者にとってはとても新鮮な気付きなのではないでしょうか?)

なので、今回取り上げた「Matte Kudasai」の英語の部分と日本語の部分がスムーズに繋がること、曲の流れを乱すことなく統一した響きが感じられることは、むしろ当然のことなのではないかと思います。

僕たちが会話をする時は母音が変わるごとに声の響きは刻々と変わっていきますが、歌ではその反対の事をやらなければなりません。つまり、母音が変わっても響きがあまり変わらないことを目指さなければなりません。

なので、歌にとっての”言葉”とは、それぞれの単語単位やフレーズ単位、いやもっと大きく「言語単位」でさえ分けて捉えるべきものではないということなのでしょう。

 

以上、ご精読ありがとうございました。

PAGE TOP