「もっと綺麗な声で歌ってほしい」けれど抗えない理想の歌声への欲求。言われて気付く”抹殺しようとしている声”の魅力。

あなたの傍で、ああ暮らせるならば つらくはないわ、この東京砂漠~♪♪

いつの時代だったでしょうか、内山田洋とクールファイブが歌うこの「東京砂漠」が流れるテレビコマーシャルの一場面が、僕の記憶の中に鮮烈な印象を残しています。真夜中のビルの屋上が映り、この印象的な歌詞が歌われる・・・「ああ、東京はなんて辛く寂しいところなんでしょうか!」と、住んだこともない東京という大都会の無情さ・非情さを想像したものです。「東京砂漠」・・・”あなたの傍で、暮らせるならば、つらくはない”と歌われます。つまり「あなたの傍で暮らせないのなら、東京の全てはつらい」のです。「東京砂漠」・・・想像力を掻き立てる、何という名文句でしょうか!

前川清さんは、大きくうねるようなビブラートが特徴のシンガーです。けれどビブラートを「自然が人間の歌声に与えたもの」というベルカント的な定義でくくるなら、前川さんのそれはビブラートとは呼べないのかもしれません。ベルカント的なビブラートは”喉の機能が最高の状態の時に、自発的に現れるもの”という意味合いでとらえることができますが、前川さんのビブラートは”表現方法”とでもいいましょうか・・・シンガーとしての個性のために作られ、音楽の表現のために”使われているテクニック”という印象です。

さて、2019年も5か月が過ぎようとしていますが、6月も近くなってくるとお昼間は30度を超える日もでてきました。この時期気になるのは朝晩と日中の寒暖の差です。その差は15度以上にもなることがあり体調管理にますます慎重になる日々ですが、友人は「近頃の気候は、まるで砂漠だ!」と言い放っていました。なるほど・・・砂漠かあ、じゃあさしずめ僕らが住んでいるこの土地は「京都砂漠」かあ。近い将来、日本全体が砂漠のような気候になるのかなあ・・・と考えていたら、冒頭に書いた「東京砂漠」の歌詞が蘇ってきたのです。遠くない未来、冒頭に書いた「東京砂漠」の歌詞をめぐって論争が起こるかもしれませんね。「大都会における人間関係の希薄さを歌っているのだ」「いや、朝晩と日中の寒暖の差を”つらい”と歌っているのだ」と・・・。

 

さて、僕が自分の声に対してずっと持ち続けていたコンプレックスは「荒々しい声で歌えない」というものでした。良いか悪いかは別にして、僕はずっと”クリアーな声”でしか歌えないシンガーだったのです。ハードロックの歌手たちの、あの歪んだ野性的な叫びを聴くたびに「ああ、あんな風に歌えたらなあ」と、いつも羨望の思いでいっぱいでした。

10年前、僕はボイトレというものに初めて出会いました。そして、フースラーメソードと出会ってからは、いよいよその奥の深さと難しさにのめり込んでいきましたが、それなりの練習の甲斐もありまして念願だった”荒々しく歌う”ことも不可能ではなくなってきました。もちろんその日のコンディションにもよりますが、以前とは比べるべくもない野性的な声で歌えることもしばしばです。それは僕の歌声に対する純粋な欲求であり、その欲求を時々ではあるけれど満たすことができる瞬間は、まさに至福の時なのであります。ライブの録音を聴いて”ニヤリ”と嬉しくなる時があります。「この歌はこんな声で、こんな表現で歌いたかったんや!」・・・その目標が達せられた瞬間です。

けれど、一方で「今日は私の好きな曲をたくさん聴けて嬉しかったけど、もっと綺麗な声で歌ってほしかったわあ」というお客さんからの予想外の評価を頂くこともあります。そんな時に僕の心の中には一瞬、反発の気持ちも芽生えますが・・・それは一方の事実なのです。そのお客さんにとっての僕の歌声の魅力は、今日の僕の歌声の中にはなかったのです。

最近、荒々しい歌声を求めすぎるあまり、僕はクリーンで綺麗な歌声を「抹殺する」傾向にあります。上記のお客さんからの感想は、そんな僕に対する警笛でもあります。

もしかしたら、荒々しい歌声への強い憧れが、僕の歌声の魅力の半分を失わせているのかもしれません。

・・・などと、最近のレパートリーのリストを見渡して「バラードの少なさ、ハードな曲の多さ」にハッとして・・・独り言のような記事になってしまいました。

以上、ご精読ありがとうございました。

筆者のプロフィール、ボイトレへの考え

石橋ボイストレーニング教室
石橋ボイストレーニング教室
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京都、大阪でボイトレ 一歩一歩確実に!一生ものの声を育てる

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