口うるさい先生は良い先生。声の、喉の、歌の、細かい指摘が歌声を改善に導く。レッスンはサウナではない。

僕は30代の頃、京都市内にあるクラシックギターの教室に通っていました。週に一度、よほどのことが無い限り欠席せず、自主練習もそこそこやっていました。そんなクラシックギター教室通いは、飽きやすい僕にとっては数少ない”継続できた”事例の一つなのであります。先生の自宅にお邪魔してレッスンを受けるわけですが・・・もちろん楽しいばかりではありません。自主練習が全然出来ていない時のレッスンは不安で億劫でもあり、さて何と言い訳しようか・・・仕事が忙しかった?風邪をひいて体調が悪かった?・・・そんなことを考えながら教室までの道のりを歩いたことも数知れません。まあ誰でもそんなものなのでしょうね、定期的にレッスンに通うということはそんなものなのですね。

ボイトレ学習者としての僕は”週に一度”など、いわゆる”定期レッスン”は受けておりません。自分が行ける時、レッスンを受けたい気持ちの時に先生に予約を取って通っていますので受講が億劫なことはあり得ず、いつも鼻息荒くやる気満々です。またボイストレーナーとしての僕もそんな”自由予約”の形をとっています。ただ、それが良いのかどうかは分かりません。ギター練習生時代の僕は、”定期受講”が義務付けられていたからこその上達も多大にあったと感じているからです。

個人で開業されているそのギター教室にお世話になっていた8年間、僕はギターの奏法のみならず、音楽全般に関する作法から分析の方法まで本当にたくさんの事を教えて頂いたと、今でも感謝にたえません。

さて、僕が教わっていたギターの先生は、一言で言うならとても「口うるさい」先生でした。もちろん音楽や奏法に対して「口うるさい」という意味ですよ。

ギター奏法そのものは(特に初心者のうちは)悪い癖が身に付かないように、もしくは今までの独学演奏で身についてしまった悪い癖を矯正するように、とても細かい技術的な指摘が必要です。これはボイトレにおいても同じことだと思います。全てのボイトレ学習者は”独学演奏で身についてしまった悪い癖”を矯正するために日々練習しているともいえます。

さらにそのギターの先生は、音楽表現に関することでもとても「口うるさい」指摘をされていました。技術的に上手く弾けたとしても感情の乗らない演奏は批判をされました。もちろん自主練習をしてこないなどもってのほか!と、万事がそんな感じだったので、今になって打ち明けると・・・僕たち生徒はストレスを感じることさえあり「もっと、気楽な先生に教わりたい」とさえ考えたことも一度や二度ではありません。

けれど冒頭に述べたように、結局僕はこの先生から受けた音楽的な恩恵を、今でも宝物として持ち歩いています。いや、もっと言えば・・・ボイストレーナー、つまり”音楽教師”となる一番最初の礎を築かせてくれたのは、このギターの先生であったとさえ思うことがあります。結果としてはもちろん、この先生が「口うるさく」僕を指導してくださったことが僕の財産となっています。

僕がレッスンで生徒さんに指摘する「声に関する問題」は僕を指導してくださったボイストレーナーの先生方からの”受け売り”ですが、「音楽に関する問題」は先述のギターの先生からの”受け売り”も数多く含まれています。

さて何が言いたいかというと・・・あなたが教わっているボイストレーナーに対してあなたが「(ボイトレ的に、音楽的に)口うるさい」と感じていたとしたら、少々レッスン受講が億劫に感じる時もあるでしょうが、多少我慢してでも教わり続ける価値はあるものと思います。もちろん正しいボイトレを教えてもらえることが前提とはなりますが・・・

レッスンを受け、喉の機能を覚醒させて歌声を変える・・・これは並大抵のことではありません。日々の練習にはストレスを感じることさえあるでしょう。けれど楽しいばかりでは中々上手くいかないのが世の常です。レッスンで細かな指摘を受けストレスを感じることは、あなたの喉や歌声に対して精神的・肉体的な負荷がかかっている証なのであり、負荷をかけることなくして物事を一歩先へ進める事は難しいのではないか、と僕は思います。

何でも褒めてくれる先生は生徒さんを”良い気分”にさせてはくれるでしょうが・・・ボイトレのレッスンを受けることはサウナで汗を流すことと同じではありませんので・・・先生は生徒さんを気分よくさせることが仕事ではありません。

と書きながら、僕自身も臆せず細かい指摘をできる教師に!また、細かい指摘を発見できる耳を持った教師に!と発奮する、今日この頃です。

 

以上、ご精読ありがとうございました。

筆者のプロフィール、ボイトレへの考え

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