僕が昔ギターを教わっていた先生がこんな事を言っていました。
「君が感情のままに自然にギターを弾いただけで“自然で美しい演奏が出来る”と思ってはいけない。そんな事が出来るのは一部の天才だけだ。僕たちが”自然で美しい演奏“をする為には”とても不自然な練習“をたくさん積み重ねていかなければならない」
歌う事はギターを弾く事と違って、より本能的で自然な行為だとは思います。
いや、「歌う事」は人間にとって最も原始的な「音楽的行為」なのでしょう。
一切の楽器が無かった古代から人間は歌っていたでしょう。
せいぜい伴奏は、木の枝で何かを叩いて音を出していたパーカッション程度の物だったと思います。
そして、全ての楽器は「人間の歌声」を再現するための物だと言えます。
「ギターを歌わせる」「歌心のあるピアノ演奏」等という言い回しは、人に備わる歌心を楽器でもって表現することから生まれた言葉でしょう。
「楽器を歌わせること」は最も難しい音楽的テクニックです。
クラシックの演奏家は「楽器を歌わせること」に生涯を賭けていると言ってもいいほどです。
ところが、本来「声の専売特許」であった「歌心」は、「喉」という楽器の不具合から、ほとんどの人が充分にその潜在力を発揮せずにいます。
喉が本来持つ強力な力が現代の我々にも万全に備わっていたなら「ボイストレーニング」なんて必要無かったでしょう。
必ず機能回復させる方法が存在するとはいえ、喉を充分に使えるような状態にする為には少々時間がかかります。
楽器店に行ってギターを買って帰るよりは遥かに手間と時間がかかります。
その「喉を本来の自然な音を出す状態に回復させる」ためには、やはり数々の「不自然極まりない練習」をせねばなりません。
考えてみると僕自身、確かにたくさんの「不自然な練習」を行なっているなあ、とは思います。
裏声の練習・地声の練習・音階の練習・・・歌に練習が必要?古代人が見たらびっくりするでしょうか?
しかし、一旦「喉を本来の状態」に戻す事が出来たなら、そのあとの「歌心の練習」なんて必要ないのかもしれません。
きっと、誰もが自然に自由に歌う事が出来るはずです。
少なくともギターやピアノのような「楽器を歌わせる練習」は必要ないのですから。
そう考えると、歌の習得にかかるトータル時間は他の楽器と大差無いように思います。
歌の場合は「声がよく出る」「声があまり出ない」というところで最初の評価が決まってしまいます。
これは単なるフィジカル的な評価であって、音楽的な評価ではありません。
僕も「喉という楽器の性能」ではなく、「歌心」で評価してもらえるように、まずは自由に歌える喉を早く手に入れたい!と強く思います。
以上、ご精読ありがとうございました。