録音された声や聴き手の意見は正直です 声を客観的に聴くことの大切さ

僕は週に34日、ステージで歌っています。

もちろん、第一の目標は「お客さんに楽しんでもらう事」です。

それから「生徒さんに還元できる、ステージでの体験を得る事」も大切な仕事です。

僕からレッスンを受ける生徒さんには、実はこの部分をたくさん伝えたいと思っています。つまり「ボイストレーニングで培った力を、いかに本番の歌に活かしていくか?」という点です。

もちろん僕自身が毎日行なっているボイストレーニングの成果を、日々確かめる場としても貴重な経験を積ませてもらっています。

独りよがりの「発声の実験」はお客さんや共演者に迷惑をかけるので、歌が崩壊しないギリギリの線で「実験」をして、自分のボイトレでの蓄積を試すようにしています。ただあくまでも「お客さんありき」の世界なので、突拍子もない発声は決していたしません。

そんな日々のステージ経験の中でも「上手くいった事」「上手くいかなかった事」が当然生まれ、「上手くいかなかった事」は相応の反省をして次回にいかさなければなりません。

そして、つい先日「相応の反省」が必要だと思う出来事がありました。

今回はその「反省すべき出来事」について、またその事について皆さんにお伝え出来る事を書いてみたいと思います。

お付き合い下さい。


「今日は声がガラガラだったよ」の一言

ある5月の土曜日、僕は和歌山でライブがありました。

その週は火曜日から土曜日まで連続夜のライブがあり、その日は最終日でした。

ここ最近は夜連続くらいが、声の状態を保つには「丁度よい」と感じます。

だんだんと声の融合が促進され、日を追うごとに調子が上がってくるのを感じるからです。

その日は午前中にボイトレを1回、往路の車中では歌を歌ってウォーミングアップをし、会場でのリハーサル中もずっと「良い融合状態」を保てていました。

「良い融合状態」は「心地よい声の歪み」を作り出します。

その日の僕の声は全般的に「僅かに歪んだ状態」であり、全て準備万端で何の不安もありませんでした。

本番のライブでも声の状態は上々で、僕は自分の声の歪み=ガムを楽しみながら、ご機嫌でその日のステージを終えました。

ところが、ステージ終了後にお客さんから意外な一言を頂きました。

「今日は声がガラガラやったな・・・」

そのお客さんは、しょっちゅう僕たちのライブに来てくれるいわば「常連さん」なので、頻繁に僕の声を聴いてくれているはずです。

その人が、僕の声を「ガラガラ声」だと言いました。

もちろん、この場合の「ガラガラ声」は良い意味ではありません。

「風邪でもひいたのか?大丈夫か?」というニュアンスです。

つまり、気持ちよくガムを効かせて歌っていたつもりが、お客さんには心地よくなかったのです。

僕はその日はとても気持ち良く歌えていたので、最初は「あのお客さんには、たまたま心地よく聴こえなかっただけや!他のお客さんには心地よく響いたはずや!」と、自分を正当化してやり過ごそうとしました。

けれど、どうしてもその言葉が引っかかっていました。

そして、帰宅してからその日の録音を聴き返したところ・・・

自分でも「歪み(ガム)が荒く、ちょっと聞き苦しい」と感じました!

結局、そのお客さんの直感(風邪をひいたような声)は正しかった事になります。

 

聴き手は正直です

歌っている時の「僕の主観」と、聴いているお客さんの「客観」。

録音を聴き返した時、結局正しいのは「お客さんの客観」でした。

僕は、この出来事を少し重く受け止めた方が良いと感じました。

つまり「僕が気持ちよく歌えていること」は、必ずしも「お客さんも気持ちよく聴いてくれている」事とは直結しないという事です。

それほど「歌っている人の主観は当てにならない」という事でしょう。

声や歌にとっては「客観」こそが全てとも言えるでしょうか。

 

声を客観視する事の大切さ

僕がこの日の演奏を録音していなかったら「僕のガムが荒すぎる」ことに気付く事はなかったでしょう。

改めて「録音して聴き返す事」の大切さを身に染みて理解しました。

自分の声・歌には「最大の疑いをもって」接するべきです。

「上手くいっている」と思っていたことが、実は「全然上手くいっていない」なんて事はザラに起こる事なのです。

 

聴き手の意見を真摯に受け止める

歌は、ともすれば「主観ばかりが優先されてしまう」分野だといえます。

スポーツやテストのように「明確な答え」が無いからです。

誰かがあなたの歌を批判した時にも「あいつの耳が悪いんや!俺の歌が悪いはずがない!」という「間違った主義」が、ある意味通用する世界です。

けれど、そう考えた時点で全ての成長は止まってしまいます。

そして、その「間違った主観」は、ただの独りよがりの独善でしかありません。

 

まとめ

この体験で、僕は「歌っている時の自分の感覚は当てにならない」「本人が気持ち良いからといって、聴き手が気持ち良いとは限らない」「やはり声を客観視する事は重要である」という事を強く学びました。

これからも自分と聴き手との「感覚のギャップ」を埋める努力を続けたい思います。

皆さんもぜひ「主観に逃げない」でもらいたいと思います。

聴き手から批判が出た時は、とにかく謙虚に受け止め、「いくら時分が気持ちよく歌えていても、少なくともこの世に一人はこの声を不快に思う人がいる」事を理解するべきだと思います。

そして、その批判は「自分の声の“不快な要素”を気付かせてくれる」またとない教材であると考えるべきだと思います。

 

以上、ご精読ありがとうございました。

筆者のプロフィール、ボイトレへの考え

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