「換声点が難しい」は正しい方向性、「高音ほど難しい」は張り上げの可能性

地声と裏声の中間点・裂け目(パッサジオ・換声点・ブリッジ)が”難しい”と感じることは当たり前のことであり「正しい発声に向かっている」証でもあります。むしろ「音程が高ければ高いほど”難しい”と感じる」場合は、ボイトレの方向性が間違っている可能性があります。

今年(2018年)の夏は猛烈な暑さでした!一旦涼しくはなったものの、また暑さがぶり返したようです。

日中、車に乗っていて室外温度のメーターを見ると、何度か「40℃超え」を計測していました。

人から聞いた話ですが、20年以上前、仮面ライダーか何かのヒーローもので「地球の気温を38℃にまで上げて、人間を滅亡させようとする敵」の話があったそうです。

僕たちは20年前なら”滅亡しかねない”気温の中でこの夏を過ごしたことになります。やはり何年もかかって徐々に気温が上がっているので僕たちの体も慣れたのでしょうか?・・・

 

さて、雑談はさておき・・・

冒頭に書いたように、地声と裏声の中間点の音の事を「パッサジオ」「喚声点」「ブリッジ」などと呼びます。

低い音から地声のまま半音ずつ音程を上げていくと、やがて苦しくなって声が裏返ってしまう地点のことです。

また、高い音から裏声のまま半音ずつ下降していくと、今度は裏声の状態が保てなくなり地声に落ちてしまいますが、その辺りの音程とも一致するはずです。

ただし、裏声の下降はボイストレーニングによって相当低い音域まで伸ばすことが出来ます。そしてこの「裏声を下降させる練習をして、出来るだけ低い音域まで裏声を保つようにする」ことは、ボイトレにとって「声の足場作り」というとても重要な要素となります。

パッサジオ(passaggio)とは”通過・道”という意味のイタリア語です。上に書いたような音域は、まさに「地声から裏声への通過点」という感じがします。また、僕は「喚声点」という言葉はYUBAメソッドによって知りました。YUBAメソッドでは、上述の音域で声が裏返ることを「喚声点ショック」という言葉で表しています。

 

多くの人を「自由に歌うこと」から遠ざけているのは、この辺りの”ほんの数音”の音の処理が難しいからだといっても言い過ぎではないでしょう。

音程が高くなってくると声が裏返ってしまう・・・ある音程から一気にすっぽ抜けたような弱々しい裏声に替わってしまう・・・こういったことは上に書いた”ほんの数音”が邪魔をしているために起こる・・・だからこの部分を「取り敢えず繋ごう!」と考えるのは至極当然のこととも思います。

ただし、実際にはそう簡単にいくものではなく、地声と裏声という「二つの素材」を純粋に強くしていくことをしなければボイトレは失敗に向かってしまいます。

不思議なもので、この「二つの素材」は分離すればするほど「繋がろう」としてくれます。このことは「人間の声は、本来地声と裏声に分かれていたのではなく、一本に繋がっていたのだ」ということの証明ではないかと思います。

 

少し話が逸れてしまいましたが、冒頭に書いたように、地声と裏声の中間点を”難しい”と思うことは、ボイトレ学習の過程であれば誰でも感じることです。

いや、多分これからもずっとその辺りの”ほんの数音”には悩まされ続けるでしょう。

ボイトレにかける何年もの月日は「声の一本化への旅」だともいえます。

フースラーは、あまり声の訓練をしなくても自由自在に歌える歌手のことを「自然歌手」と呼んでいますが、そういったほんの一部の恵まれた天性の人達は、上に書いた”ほんの数音”に悩まされることはないのでしょう。しかし、その他の大多数の人でもボイストレーニングによって声の自在性を”引き出すことができる”と、希望溢れる言葉を書いています。

 

少なくとも、ボイトレを頑張っている今の時点でパッサジオの”ほんの数音”に悩まされることは「正しい方向性」の証です。

では、あなたが「音程が高ければ高いほど難しい」と感じていたとすればどうでしょうか?これはむしろ問題です。「呼気圧迫」「腹式呼吸」「不健康なベルティング」といった”正しくない”方向性の現われである可能性があるからです。

僕自身も毎日のようにパッサジオの数音に悩まされています。そして、寝不足だったり、前夜に飲み過ぎたり、風邪をひいたりして調子が悪い時ほどパッサジオの数音は「対岸が見渡せないような大河のごとく地声と裏声を真っ二つに分けてしまっており、繋がる気配すら見せない時があります。けれど、現代人である僕たちの声はそんなものなのです。特に喉の調子が悪い時は、そんな”声のウィークポイント”に欠点が強く現れるものなのです。

 

ボイトレの最終的な目標は「自由自在な声」だと思います。

それを最も妨げている「パッサジオの数音」は”喉の不具合の象徴”として僕たちの声に現れている、と考えることができるでしょう。

ただ、少なくとも現時点で「パッサジオの数音」を難しいと感じることは、間違った方向性ではありませんし、むしろ「高いほど難しい」と感じること(そういう感覚が何か月も続くこと)の方が問題だと思います。

 

以上、ご精読ありがとうございました。

PAGE TOP