プライドが真実の受け入れの邪魔をする。声や歌への批判は謙虚に受け止め、ボイトレの原動力とする

僕が初めてライブというものに出演したのは、高校1年の頃だったと思います。

高校生のバンドを数バンド募集して開催するイベントのようなもので、それに応募したバンドが持ち時間30分くらいの中で今まで練習してきた曲目を演奏する、というスタイルでした。

持ち時間は「”セッティング込みで”30分」とか、そういう感じだったと思います。なのでセッティングをいかに手早く済ませるか?も、とても大事な課題でした。

京都市内にあるライブハウスが会場だったので、同級生たちがたくさん応援に来てくれました。(単純計算でメンバー一人につき10人お客さんを呼べば、それだけで10×5=50人です!)

友人たちは皆喜んでくれて、絶賛してくれたことを覚えています。バンドをやっているというだけで珍しく、おまけに観客のほとんどは友人なので演奏に対する批判は無かったと思います・・・そりゃそうですね!自分たちの友人が初めてライブに出演するんです!演奏の出来不出来以前に、無条件で大絶賛でしょう!

その後、僕も色々と音楽経験を積み、プロのボーカリストとしてお店で歌うようになるわけですが・・・そうなると、もちろん批判もされるようになってきます。まあ、これも当たり前のことですね!お客さんはちゃんとお金を払って聴きにきてくれているわけですから。

そんな批判も、僕自身が「今日の歌声はイマイチだなあ」と感じている日なら謙虚に受け入れ反省して前を向いていくことができます。けれど時には「今日は絶好調だ!」という日でも”良くなかった”という評価が耳に入ってくる時があります。そんな時でもその批判を真摯に受け止めることができるのが人間的な器の大きさだとは分かっているのですが・・・

さて、三大ボイストレーナーの一人であるハーバート・チェザリーの著書「The Voice Of The Mind」を読んでいて、上に書いたようなことに関連するちょっと気になる一文がありました。

今回はチェザリーの著書からの引用をしながら「真実の受け入れを阻むちっぽけなプライド」について書いてみたいと思います。

お付き合いください。


”正しいと信じている事への批判”に対する理不尽な怒り

一生懸命努力してきた!いつでもどこでも真っ先にそのことについて考えてきた!・・・それなのに相手からの評価は思わしくなく、聞こえてくる言葉は「全然良くない」「前の方が良かった」「やり方、間違ってるんじゃない?」といった批判ばかり。そんな経験、誰にでも身に覚えがあるのではないでしょうか?

僕の場合、心血を注いでいる事というと、もちろん「ボイストレーナーとしてのレッスン活動」「ボーカリストとしてライブで歌うこと」です。もし上のような批判を受けたなら・・・やっぱり僕の中には「怒り」の感情が湧きおこると思います。

「あれだけ頑張ったのに!なぜだ!」というやり場のない憤りでいっぱいになると思います。

つまり、プライドがズタズタに引き裂かれるわけです。

 

周囲の意見は「真実」であることがほとんどです

けれど、ここでふと我に返り自問することは必要なのだと思います。

「自分では”イケてる”と思っていても、そうではなかったんだ!」と謙虚に反省することはとても大切です。そうでなければ、その先の進歩への道は完全に閉ざされるのですから。

もし僕が「今日は良い歌声だ!」と考えながらライブを終えたとしても、聴き手に満足を与えられなかったことだけが「真実」なのです。

僕がプロのボーカリストとしてステージに上がり始めてすぐの頃、丁度そんな出来事がありました。(詳しい地域までは覚えていませんが)地方から2人でライブに来てくれたお客さんが書いたライブの感想には、僕の声が「何だか弱々しい」と書いてありました。実は僕はその日絶好調で、力強く気持ちよく歌っていたはずなのに・・・とてもショックを受け「あの二人は音楽を分かっちゃいない!」という自分勝手な理屈でこの批判を葬ってしまいました。まさに、つまらないプライドが「真実を受け入れること」の邪魔をしたのです。

 

自分の信念以外を完全に拒否してはいけない

さて、チェザリーの本にはロビンソン教授という人のエッセイからの引用が載っています。

われわれはどういう信念を持つかについて信じられないほど無頓着であるくせに、その信念とわれわれの仲を誰かが裂こうとしたとたん、まるで不当な情熱をもって、それにしがみつこうとする。あきらかに、大事なのは考えそれ自体ではなく、脅かされたプライドのほうだ。今までずっと真実とみなしてきた事柄をそのまま信じていたいのだ。

・・・非常に心に響く言葉であります。

またチェザリー自身も次のように書いています。

私たちは、よほどの確かな根拠がなければ、自分の考えていることがどんなに立派に思えても、それ以外の考え方を完全に拒否して生きるべきではありません。

 

まとめ

上に載せた文章は、僕自身にとってとても耳の痛い話だったので、この記事の中で引用させてもらいました。

自分でどれだけ努力していても、どれだけ「今日はイケてる」と思ってみても、周囲の評価こそ「真実」であるといえます。

そんな時、邪魔をするのはちっぽけなプライドです。そしてそんなプライドは、これから先も役に立つことのないものです。

また、批判されてなぜ”怒り”の感情が湧くのか?・・・そのことについて努力したというある程度の自負があるからだと思います。それならばもっと努力するべきなのでしょうね・・・「まだ努力が足りない」と評価を受けているようなものなのですね・・・

 

以上、ご精読ありがとうございました。

筆者のプロフィール、ボイトレへの考え

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