【リードの言葉】裏声と地声、それぞれを純粋な音質を保ちつつ訓練する。お互いを似かよらせようとしてはいけない。

僕は映画が好きです。それも古い映画を好んでみることが多いです。

けれど歳のせいでしょうか、近頃”約2時間”という映画の定型サイズに睡魔が勝つことも多いです。不思議なことに「楽しみにしていた映画」「見たかった映画」ほど、この傾向が増しているように思います。2時間ジッと鑑賞する事が難しく、いつも途中で眠ってしまう・・・そんなことが多くなってきました。

まあ、2時間の映画を観るには絶対に「2時間必要」ですからね!読書の場合は速読術なんかもあり、努力によって時間を縮めることは可能かもしれませんが・・・

映画の中には「一度見たら充分なもの」と「何度でも見たくなるもの」があります。後者はそれこそ何十回と見直しても描写やセリフに新しい発見があり、そのたびごとに違った感動を得られるものです。”名画”とは、そういうものなのでしょうね。

 

さて、有名なボイトレ本の中にもそんな”名画”の如く何度も読み返したくなる”名著”があります。

「ベルカント唱法 その原理と実践(コーネリウス・L・リード)」は、そんな”ボイトレ名著”の一つです。

最初から両声区を隔てているギャップを埋めるために無理な訓練をしたり、それぞれの音質の特徴を強引に転換しようとしては絶対にいけません。各声区ははっきり分離されるべきであって、ただ表面的に互いを似かよらせようとしても、何の役にも立ちません。

コーネリウス・L・リード

ボイストレーニング最初の段階で、まず取り組まなければいけない”声区分離”の大切さについて触れられた一文ですが、二度三度この本を読み返すうちに一度目の読破では目に留まらなかった単語・文章にとても注意を惹かれることがあるものです。

リードは胸声区(地声)の上限を”レ”、またファルセット(裏声)のスタートを”ソ”と定めています。よって、上記文の冒頭「両声区を隔てているギャップ」とは”ミ~ファ”ということになります。よって初心者は”レ”から下の地声と、”ソ”から上の裏声を訓練して、その間のギャップである”ミ~ファ”は発声しなくてもよい、とも解釈できます。(レッスンで”ミ~ファ”を発声しない・・・僕にとっては勇気のいることです)

さらにその後の文章「それぞれの音質の特徴を強引に転換」「ただ表面的に互いを似かよらせよう」などは、”すぐさまミックスボイスをこしらえる”などの危険なボイトレ方法への警告となっています。

「声の音質をソフトにして、地声と裏声を繋ぐ」といった練習を僕自身も行なっていた時期がありますが、これはまさに「ただ表面的に互いを似かよらせよう」という試みのように思います。百歩譲ってこの方法で地声と裏声が一本化できたとしても、それは”特定の音色の時にのみの一本化”にすぎず、声は依然として不自由なままでしょう。喉の機能が、たった一つの音色によって縛られているということになります。

 

今回引用したリードの一文からは”ボイトレのインスタント化”に対する強い抵抗と警告が感じられます。「絶対にいけません」「表面的に」「何の役にも立ちません」など、厳しい表現が目立ちます。

僕が今回感じたことは、真のボイトレは想像以上に慎重で歩みの遅いものなのだという印象です。何しろ上述したように初心者のうちは「両声区を隔てているギャップ」つまり”ミ~ファ”は発声せずに訓練されていたということなのですから。

僕自身、ボイトレをインスタント化せずにおこう!生徒さんをジックリと導こう!と考えている毎日ですが、それでもまだ歩みは早すぎるのかもしれません。

 

以上、ご精読ありがとうございました。

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