歌声を檻から解き放つ。日常の分別を忘れて、”正しい発声”とは別次元で必要なこと。

「君の歌と演奏は、面白くない」

僕が大学生のころ所属していたクラブ、“フォークソング愛好会”の一学年上の先輩が、夏合宿の最終日、その合宿期間での練習成果を発表する演奏会での僕の歌と演奏を聴いて仰った感想です。

若く向こう見ずで、自分自身の音楽性やテクニックにそれなりの自信を持っていた僕は一瞬ムッとしました。「先輩にはたまたまそう聴こえただけさ、僕の歌が面白くないはずがないではないか!」そんな風に自分自身を無理矢理納得させましたが、釈然としない思いを抱えたまま疲れ果てた身体で京都への帰路についた事を今でもよく覚えています。

その後、僕は歳をとり、自分自身の音楽性の限界・・・ロクに練習もせずに上手くなることはあり得ないこと・・・などなど、どんどんと気付きを重ねた結果、あの夏合宿での先輩の言葉が正しかったことを今では痛感しています。

僕の歌が面白くなかった原因は、僕が自分の歌声を“檻に閉じ込めていた”からなのです。

例えば、頭にイメージしてみます。ステージで歌うヘビーメタルのシンガーの写真を何枚も撮るとします。その写真の中の彼は、口を大きく開けて叫んでいたり・・・目を血走らせてマイクにかじりついていたり・・・そんな風だろうと思います。

一方、メッセージ性の強い歌詞を歌うフォークシンガーの写真も思い浮かべてみます。写真の中の彼は、目をつぶって自分に酔いしれていたり・・・しかめっ面をして怒りの言葉を叫んでいたり・・・そんな風だろうと思います。

観客を感動させることができるシンガーのステージ上の姿は、どこを切り取っても“何かが降りてきている”ような、“日常の分別を無くしている”ような印象を与えます。このことは“正しい発声”とか“歌のテクニック”などとは別次元ではあるけれど、確かに音楽の一番ベーシックな部分であるように感じます。

「歌声を檻から解き放つ」こんな表現もピッタリとくるのかもしれません。

人を感動させる歌を歌うためには、日常の分別があってはいけない!歌声を檻に閉じ込めてはいけない!大学生の僕はこのことをよく分かっていなかったのです。あの夏の先輩の苦言、今の僕はとてもよく理解できるようになりました。

さて、ボイトレ学習者たるもの、練習の時には積極的に「歌声を檻から解き放つ」姿勢で挑みたいものです。

レッスンでは何も遠慮することはありません!「大きな声で!」と先生が言ったなら、声が割れても構いません、ありったけの大声で歌ってください。

その時のあなたの顔はちょっと“変”かもしれませんね!口は大きく開けられて眉間に皺がよって・・・姿勢も不自然になるかもしれません、足はバタついて握りこぶしを作って・・・

そんな風にして「歌声を檻から解き放つ」努力をしてください。

「お腹に力を入れてはいけない」「喉に最適な仕事をさせるように」「口の形、舌の位置を気にしてはいけない」・・・あなたの頭の中は、今まで繰り返し聞かされてきたそんなフレーズが渦巻いているのかもしれません。時には「”気にしてはいけない”ことを、過剰に意識し過ぎている」という矛盾に陥っている可能性さえあります。

読んだり聞いたりして蓄積された知識によって、それ以上に大切なものがあなたの声からは失われています。

ステージで“日常の分別を忘れて”歌うためには、レッスンや自主練習で“日常の分別を忘れて”声を出すことができなくてはなりません。

とにかく何にも先んじて、

あなたの歌声を檻から解き放ちましょう!

それは努力なしでは起こりません、自ら積極的に、歌声という猛獣を飼いならすために、まずは存分に暴れていただくのです。鞭を振り下ろすのはその後のことです。

 

以上、ご精読ありがとうございました。

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