ビブラート・こぶし・しゃくりは隠し味。歌唱表現を蛇足にしない、歌いやすさとのバランスを考えて

僕は”隠し味”という言葉に何とも魅力を感じます。

例えば「カレーの隠し味にコーヒー」は割と有名ですが、何かこう・・・普通は入れないものを加えて味が劇的に変わる・・・つい自分でも”思わぬ隠し味”を探してみたくなり、調理の最後に”意外な調味料”を少し加えてみたりします。けれど最後に思い付きで加えた調味料は、大抵は効果がなく(それどころか味を損ない)、いわば”蛇足”になることも多いです。

歌でもこういう事は起こりがちです。

やたらと強調されたビブラートやこぶし回し、フレーズの最後の全てをしゃくり上げる・・・そんなクドイ歌唱表現は、聴いていて「ちょっとしつこいな・・・」と感じることもあります。(過剰に伸ばすロングトーンも、場合によってはクドイ印象を与えます)

自分自身でもそんな「クドイ表現」で歌ってしまっている時があります。最初はそれこそ”隠し味”程度に効かせていた歌唱表現もいつの間にかどんどんエスカレートしていき、ついにはコテコテのしつこさで完成してしまう・・・あとで録音を聴いたり人から指摘されたりして初めてのそのクドサに気付くこともあります。自分では全然そんなつもりはなかったのに!と愕然とします。

有名歌手のライブでさえ、そんな風に思うこともあります。「昔の歌い方のほうが自然で良かったよなあ」「最近の歌いまわしはちょっとクドイよなあ」・・・そんな印象を持つことも多いです。まあツアーなんかで毎日同じ曲ばかり歌っていると飽きてくるんでしょうね。

けれど、お客さんにとってはそのライブは一期一会、とても新鮮な気持ちで会場に足を運んでいます。う~ん、どうなんでしょう・・・僕がお客なら、オリジナルからあんまりかけ離れている歌い方には違和感を感じますが・・・この辺りは好みの問題もありますね。

 

クドイ表現に耳を持っていかれてしまい、音楽の良さにまで注力できません

ビーチボーイズのブライアンウィルソンには「過度の歌唱力は自分の曲には必要ない。曲そのものの魅力こそ重要なのだ」というような意味の発言があります。(確かに彼の歌いまわしはとてもシンプルで、装飾はあまりありません)

僕はこの発言の先には「過剰な歌唱表現は、音楽の魅力を損なう」という意味が含まれていると解釈しています。

もし、僕が作曲者で、誰かがその曲を歌ったとしたら・・・やっぱり過剰な歌唱表現は慎んでもらいたいと考えるでしょう。その曲の中で聴いてほしいのは「ビブラートやこぶし回しの巧みさ」ではないと思うので。

やっぱり何事も適度にやるべきです。表現技術とは、ほんの隠し味程度に加える方がむしろ効果的に聴かれるのでしょう。

こてこてのクドい歌唱表現が原因で、その奥にある音楽そのものの魅力にまで耳が届かないとしたら本末転倒なことだと思います。

 

「分相応」が大切ですが、歌唱表現が”喉の機能を助ける”こともまた事実です

「声の美しさとは”相応しさ”である(チェザリー)」という言葉がありますが、どれだけ解放された喉から放たれた技術的に高度な歌唱表現でも、それが音楽に相応しくなければ意味がありません。いや意味がないどころか蛇足・邪魔物になってしまいます。

けれど、そういった歌唱表現には”喉の機能を助ける”効果があることもまた事実です。

ビブラートやしゃくりは声のブレンド、いわゆるミックスボイスの状態を作ることをサポートしてくれます。簡単に言うと、ビブラートを入れたり語尾をしゃくったりする方が断然歌いやすいのです。

なので、こういった歌唱表現は歌手にとっては「美的に」と同時に「機能的に」も使いこなさなければいけないものなのです。

曲の魅力を損なわず隠し味程度に、しかも「機能的に」使いこなす・・・この辺りはバランスの問題ですね!

僕も喉の調子が悪い時には「しゃくり全開で」ライブに臨むこともあります。やっぱりボーカリストはちゃんと声が出てこそ仕事になるのですから。時と場合によっては歌唱表現を少し”しつこめ”にして乗り切らなければならない時もあります。

 

まとめ

いかがでしたでしょうか?

「過ぎたるは猶及ばざるが如し」と言いますが、行き過ぎた歌唱表現は曲の魅力を奪い去ってしまうこともあります。音楽そのものが聴かれず”ビブラートやしゃくりの品評会”になることは避けたいものです。

半面、こういった歌唱表現が「喉の機能」と密接な関係があることも重視し、バランスよく取り入れていきたいものです。

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