アンドレス・セゴビアに学ぶ ~ボイトレの先には歌があり、歌の先には音楽がある~

僕がクラシックギターを学んでいた頃、最も影響を受け、大好きだったギタリストにアンドレス・セゴビアという人がいます。

もうすでに亡くなっていましたが、セゴビアのレコードを聴いた途端に「ああ、この人は他と全然違う!」と直感的に感じさせてくれる、そんな他に類を見ない個性とインパクトを持った人でした。

「個性の確立」という意味で、シンガーはとても恵まれています。アマであれプロであれ、その人が歌うのを聴くと、たいてい誰だか分かるくらいの個性が現れ易いです。むしろ無個性のシンガーを探す事の方が難しいくらいです。しかしギターなどの演奏家で「一聴しただけで誰か分かる」演奏をする人は稀です。

セゴビアは「クラシックギター界で、ただ一人名前を挙げるならこの人!」という唯一無二の存在でした。

田舎の楽器だと蔑まれてきたギターを演奏会用楽器として耐えうる存在にまで高めた彼の演奏は、独特の「タメ」の取り方で知られ、まさに「ギターを歌わせていた」と評するに値する偉大な人だと思います。

セゴビアと他のギタリストの演奏を聴き比べてみると彼の独自性を強く感じます。たっぷりと「タメ」を聴かせるセゴビアの演奏を聴くと「メロディーを奏でる全ての楽器がモチーフとしているのは”人間の声”である」と感じます。「楽器を歌わせる」という表現がありますが、セゴビアのギターはまさに「歌っている」ように聴こえます。

この記事では、そんなセゴビアが残した言葉をご紹介し、ボイストレーニングに当てはめていきたいと思います。

お付き合い下さい。


「テクニック至上主義」ではなかったセゴビア

時に楽器の演奏は、音楽性以上に、その楽器の特性を活かしたテクニックを華やかに聴かせる事に終始してしまう事があります。

ピアノなら、鍵盤の再低音から最高音までを縦横無尽に指が走り回る・・・

ボーカルなら、シンガーの喉の機動性を聴き手にこれでもかと知らしめるトリル(2つの音の間を急速に行き来する装飾)や、長い長いロングトーンを聴かせる・・・

こういった「技巧曲」、それはそれで素晴らしい技術の集大成であり、音楽的にも華やかでライブ映えするものではありますが、その中には「行き過ぎたテクニック至上主義」のような、少し嫌味な印象を与えるものも少なくはありません。

もちろんギターにも、そんな類の曲はたくさんあり「テクニック至上主義」を売り物にしている奏者もたくさんいますが、そういう人たちの中には「ギタリスト」ではあるけれど「音楽家」とは呼べない人もいるといわれています。

特にギターという楽器は、クラシック界では不遇な時代が長く続いたので、他の楽器の奏者よりも「ワンランク下」に見られていました。セゴビアが活躍する以前は「ギタリストごときが、ちゃんとしたクラシックの演奏なんか出来るわけない!」という扱いを受けていたようです。

そんな中セゴビアは、ギター界では初めて「ギタリスト」を超えて「音楽家」となる事が出来た人だと言われています。

 

セゴビアの名言3選

そんなセゴビアが残した言葉には、彼の「音楽家」としての信条のようなものが現れています。

「ギターの練習ばかりでなく音楽の練習も忘れずに」
「ギター以外に良い音楽をなるべく聴くように」
「ギターを弾くのではなく音楽を奏でてほしい」

アンドレス・セゴビア

これらは、おそらく別々の時期に語られた言葉だと思いますが、ほとんど同じ意味です。

これらの言葉を見ても分かるように、セゴビアは「ギタリスト」ではなく「音楽家」であろうとしたのでしょう。

「君たちは、たまたまギターという楽器を手にしているけれど、それは単に道具に過ぎないのだよ。”音楽”を演奏するように!」と言っているのだと思います。

楽器のテクニックの先にある「音楽」を見る事、これは当たり前のようで意外に忘れられてしまいがちな事なのではないでしょうか?

 

ボイトレの先には歌があり、歌の先には音楽がある

ボイトレをしていると、つい先が見えなくなる事があります。

あまりに没頭してしまうと「ボイトレする事が目的」になってしまいます。

もちろんそこで忘れてはいけない事は、ボイトレはアンザッツが上手くなるために・スケールが上手くなるためではなく、「良い歌」を歌う為にやっているのです。

さらには、僕たちにとっての「良い歌」は、「喉の機能性を見せつけるような多彩なビブラート」「信じられないような高い声で歌う事」のような「テクニックの品評会」にならない、人の心を揺さぶる本物の「音楽」になっていますか?とセゴビアは問いかけているように思います。

ギター経験者にしか良さが分からないギタリスト、ピアノを学ぶ人にしか人気がないピアニストがいたとすれば、その人達は「音楽家」とは呼べないのではないでしょうか?本当に感動的な音楽は、他の楽器の奏者や完全なアマチュアの人達の心も揺さぶるものだと思います。また、音楽とはそうあってほしいと思います。

 

まとめ

セゴビアのレコードを聴いて、たくさんの人がクラシックギターを手にしたといわれています。

それだけの影響力のある演奏をした人だったのですね。

歌の世界における「高い声=正義」という流行は、ある意味「歌」という狭い世界に閉じ込められ、その先の「音楽」にまでたどり着いていない現象なのかもしれません。

 

セゴビアの演奏による「アルハンブラの思い出」、ボイトレに疲れた時にでも聴いてみて下さい。

以上、ご精読ありがとうございました。

筆者のプロフィール、ボイトレへの考え

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