ボイトレを頑張る自分に酔いしれる。努力そのものの中に快楽を見出す。少しは”努力自慢”してもよいではありませんか?

「自分に酔いしれる」・・・あまり良い意味で使われる機会の少ないフレーズです。

いや、ミュージシャンの場合「自分に酔いしれる」ことは必要なことでしょう。もちろんシンガーも含めてです。

シンガーが自分の声に酔いしれる・・・このことは普通言われる”酔いしれる”とは少し違った側面があると思います。自分自身の一番美しい声の音質を導き出し、頭の中でその音色をイメージすることは、確かに喉の機能を整えてリラックスした状態に導いてくれるはずです。つまり「自分自身の最も美しい声の音質を、自分自身でメンタルコンセプトする」とも言えます。

けれど「僕こんなに頑張っているんだぜ!」的な酔いしれかたは周りから嫌悪され、鼻つまみ者扱いされかねません。”努力は隠れてするもの”という美意識こそ真っ当だと考えるのが世間的な常識ですね。

ところが先日、”名言集”のようなサイトを読み漁っていて、ちょっと面白い言葉を見つけました。

幸福になる秘訣は、快楽を得ようとひたすら努力することではない。努力そのものの中に快楽を見出すことである。

ジッド

フランスの小説家、ジッドの言葉だそうです。

「ひたすら努力する」「とにかく諦めずに頑張る」といった名言は多いのですが、このような言葉はちょっと異質で面白いですね。

「努力そのものの中に快楽を見出すこと」とありますが、これは努力そのものを楽しむという意味なのでしょう。つまり冒頭で書いた「自分に酔いしれる」的な気分の時は、誰しも”努力そのものを楽しんでいる”状態なのではないかと思います。

僕にも身に覚えがあります。「今日は忙しい日だから、朝6時からボイトレしたぜ」「風邪でフラフラだったのに、今日もアンザッツやったぜ」・・・そんなセリフを声高に叫びたくなる衝動が、僕の中には確かにあります。実際に「練習は細切れに」「毎日必ずボイトレ」等々・・・”努力を楽しもう”的なブログ記事もたくさん書いてきました。

僕の中には確かに・・・「良く毎日ボイトレ続けているね、偉いね」と、自分の努力に対して評価してもらいたい欲求があります。はい、強くあります!けれど、それはちょっと恥ずかしいことだと、ずっと思っていました。

けれど、ジッドの言うところの「努力そのものの中の快楽」が、”人から努力を評価されること”だとしても、別に良いのではないかとさえ思えてきます。

やはり人間誰でも評価されたいものです。もちろん頑張ってきた結果に対する評価であることが一番なのでしょうが、それまでの過程に対する評価を得たいと考える事もまたおかしなことではないように思います。

まあ、いずれにしても、まるで何の努力もしていない人は「努力の過程を評価されたい」などと思うはずはありません。「人から努力を評価されたい」「頑張っている自分を見てもらいたい」と願う人は、その人なりの相応の努力は少なくともやっていることでしょう。

また、僕は所謂”忙しい自慢”をしたがるタイプの人間ですが、これも「努力そのものの中の快楽」と言い換えることができそうです。それから・・・不思議に忙しく走り回っている中で細切れにボイトレしていると、何かこうアドレナリンのようなものが出てきてとてもやる気満々になることも多いのです。これもまた「努力そのものの中の快楽」と言えるでしょうか。

 

話が取り留めもなくなってまいりましたが、結論としては・・・

忙しい中、時間を捻出してボイトレを頑張っている自分に酔いしれて自慢げに話しても、別に良いではありませんか?そんなささやかな”努力そのものの中の快楽”を見出すことで、長く険しいボイトレ道を歩んでいけるのなら。

 

よし!僕は明日も忙しいのです!

早起きしてボイトレして「今日も忙しい中ボイトレ頑張ったぜ!僕って凄いだろ!」と、誰かに吹聴しようかしら(笑)

 

以上、ご精読ありがとうございました。

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