【フースラーの言葉】歌うことは人間の属性である、あなたも僕も歌える生き物なのだ

属性(ぞくせい、英:attribute, property)とは、一般にあるものに共通して備わっているとされる性質や特徴のことである。例えば物体の色や形、人の能力、素性、社会的関係などである。属性は、多くの分野で使用される用語である。

フレデリックフースラーの「うたうこと」の中の、とても印象的なフレーズに「人間は”歌える”という属性を持っている」というものがあります。

この「属性」という言葉、いわゆる”ボイトレ本”というジャンルには似つかわしくなく、何やら”研究書”めいた印象を与えます。

しかし「人間は”歌える”という属性を持っている」・・・この言葉は、僕たちがボイストレーニングを行なっていく過程で常に傍に置いておきたい言葉だと思います。(そして、ボイトレに行き詰まったり、もうやめてしまおうかと考えた時、そのたびに是非思い出したいフレーズです)

このブログの最上部に「属性」の言葉の意味を引用しましたが、この説明文から考えられる”人間の属性”とは、次のようなものになるでしょうか。

  • 2本の足と2本の手を持ち、それぞれには5本ずつの指がある。
  • 肺呼吸する
  • 2本足で歩く・走る
  • 手を使って物を食べる

・・・こうやって書き連ねてみると、僕たちが日常的に無意識のうちに行なっていることばかりであり、それこそ猿から進化して”人間”という種属になったときから変わらず持ち続けてきた特徴・特性です。

「人間は”歌える”という属性を持っている」・・・「歌うこと」は「2本足で歩く」ことと同じく、僕たちが”生まれつき持っている能力”なのです。この事実を知っているのと知らないのとでは、ボイトレというもの対する考え方や目指すベクトルが全く違ったものになるのは当然でしょう。

この「ボイストレーニング」「ボイトレ」という言葉でさえ、上に書いた概念を通して考えると意に沿わないものとなります。フースラーの印象的な言葉があります・・・”声の訓練は治療以外の何物でもない” 声の訓練は本来「トレーニング」でも何でもないのです。

鍵盤を叩いて音を出す「ピアノ」という楽器、弦を弾いて音を出す「ギター」という楽器・・・「歌」は、さしづめ「喉」を使って「声」を出す楽器だといえます。

ただ、その楽器としての性質がピアノやギターと声とではまるで違っています。

ピアノやギターを弾ける事が「人間の属性」であるはずがありません。

後付けで人間が本来持っていない不自然な動作を身に付けて演奏しなければならない楽器(ピアノやギター)と、本来持っている能力を自然に使う楽器(声)とでは、訓練に対する考え方・訓練にかかる期間や適齢期・演奏家としての寿命など、全てにおいて全く違う考え方を持たなければならないでしょう。

 

例えば、ある街のカルチャースクールが下記のような宣伝文句を使っていたとします。

「ピアノは何歳からでも上達します!当教室で学べば、40歳から始めてもプロ並みの演奏が可能です!」・・・これが誇大広告である事は誰の目にも明らかでしょう。(ピアノは小さな頃から練習を始める必要があります。”ピアノを弾く”という不自然な動作は、体や脳の成長とともに身に付けなければならないからでしょう)

では、次のようなPR文はどうでしょうか?

「何歳からでも歌は上手くなります!当教室で学べば、40歳から始めてもプロ歌手並みに歌う事は可能です!」・・・これは誇大広告ではありません。歌う事は人間の”属性”なのですから、40歳だから遅い!という事はありません。

つまり「ピアノが上手くなる事」と「歌が上手くなる事」は、全く別次元のものだという事なのです。

”属性”という前提から考えると、声の訓練は「歩くことを思い出す」ことに近いのでしょう。(こう書いてみると確かに「歩き方」はピアノの訓練などとは違い、何歳からでも思い出すことは可能なように感じます。「再び歩けるようにする事」は、まさに”治療”と呼べるでしょう。)

 

「歌うことは人間の属性である」「声の訓練は治療以外の何物でもない」・・・これらのフレーズが、フースラーメソードを「他に類を見ない」唯一無二の存在たらしめています。

他の楽器の習得に使われる用語(上達・上手くなる・覚える)を、全て”属性である”ことを前提とした用語(回復・思い出す・元に戻す)に置き換えることで、ボイストレーニング(=喉の機能回復)の本質が理解できます。

結びにフースラーの印象的な言葉を引用して、このブログを終わりたいと思います。

「声を形成する、すなわち声を訓練することは、”再生”の過程である」

 

以上、ご精読ありがとうございました。

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