「ボイトレ実践書の読み方」”知識の枠組み”を最小限に留める、情報を得過ぎない。著者は「それで充分」と考えている。

今の私は「スマホ依存症」だと言い切ることができます。スマホをいつも傍らに置いておかないと不安になります。最近私は、たとえ外で牛丼を食べている時であれ、ドライブスルーでハンバーガーを注文して待つ僅かな時間でさえスマホの画面に目が行く自分に疑問を感じています。

私の友人の一人は”頭の中の一部がスマホに乗っ取られること”を嫌って、未だにガラケーで頑張っています。彼は(最近めっきりそんな人は減りましたが)「外出には本を持ち歩く」と言います。確かに私の頭の中の一部も、完全に「スマホに乗っ取られて」います。

ネット上のコラムなどを見ると「スマホを捨てよ!」という内容のものを見つけることが出来ます。僕にはまだスマホを捨てる勇気はありませんが、これからの自分の時間の使い方・価値観の定着のことを考えると「スマホを捨てる」は一考の余地があります。

話は変わりますが、私は声の勉強をやろうとして、自分の趣旨に合うボイストレーニングの実践書に取り組む時、そんな時もやはり傍らにスマホを置いています。「誰かから連絡があれば、即座に返事をしなければいけない」という現代特有の脅迫もありますが・・・スマホを片手に実践書を読む理由は「実践書の記述内容の理解を深める」ためです。分かりにくい言葉が出てきたら調べたくなりますし、喉に関する解剖図のようなもの(ほとんどのボイトレ実践書には何らかの形でこれが載っています)が出てきたら、より詳細なもの・写実的なものを調べたくなります。またその本の中で引用されていることについても深く知りたくなります。

私はそんな風にボイトレ実践書に取り組んでいました。そうすることで理解は深まり、よりその実践書に精通することができるかのように考えていましたが・・・けれど、「そうすることは、良いことばかりではないな」という思いも芽生えてきました。

読めない漢字や意味が分からない言葉はもちろん調べないといけませんので、これは良いとして・・・その他の記述の枝葉の奥の奥の方まで・・・これは、あまり調べ過ぎない方が良いかもしれない、とも思います。

例えば、上述のような例の”喉の解剖図”についてですが、この”詳細さ”に関してはボイトレ実践書それぞれで全く異なっています。声帯に限定されたものもあれば、喉頭とその周り~呼吸器官まで、所謂「発声器官全体」に及んでいるものまで、”図の範囲”だけをみても様々です。またその描き方も医学書さながらの写実的なものから、ほんのイラスト程度のものまで多種多様です。

私たちがボイトレ実践書を読むとき、それを深く知ろうとする探求心のあまり(スマホ等を使って)知識の枠組みを広げて「情報を得過ぎる」ことには功罪があります。

手に取っているボイトレ実践書の著者が真面目で熱心であればあるほど、”過不足なく”記述内容を吟味しているはずです。喉の解剖図を例にとると、もしそれが簡単なイラストで載せられているだけなのだとしたら、著者は「それで充分」だと考えているはずです。

知り過ぎることは、時には足かせになることもあります。この著者が読者に与えたのは”単純なイラスト”なのです。そのイラストが何らかの発声の手助けとなり、またその”単純さ”が私たちの声を良くすることを信じているからです。彼の訓練方法にとっては”写実的な喉の解剖図”は「足かせ」になると考えたのかもしれません。

また、その実践書が書かれた”時代”についても考える必要があります。1970年代に発表された本の記述が「インターネットで気安く調べること」を想定して書かれているはずはありませんので、少なくとも著者の願望としては「この本だけで声の訓練の大枠は完結できるように」としたはずです。現代に生きる私たちの脳裏には「分からなければ自分で調べてくれるだろう」という意識があります。それだけ今は情報を得ることに関しては手軽であり、尚且つ相手にその労力を押し付ける時代です。1970年代の人達はそんな風に考えなかったはずです。情報を得ることが今よりずっと難しい時代に書かれたものは、今よりずっと「用意周到」だったのではないでしょうか。

さて、今の私にはスマホを捨てる勇気はありませんが、「いずれそのうちに!」という思いはあります。特に近頃、ボイトレ実践書を読んでいて、あまりにスマホに時間を取られ過ぎている(実践書の枠を超えた”行き過ぎた”情報収集、日課にしているものの閲覧、その他日々の連絡への返信なども含めて)と感じています。

以上、ボイトレ実践書の読み方について、私の意見を書きました。

 

以上、ご精読ありがとうございました。

筆者のプロフィール、ボイトレへの考え

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