【フースラーの言葉】多すぎる知識は自由に歌うことを奪う、何よりもまず聴くこと

僕たちは、2020年へと歩を進める、とても気軽に便利に多種多様な情報を得る事ができる時代に生き、また最大限にその恩恵を受けて生活しています。

僕がボイストレーニングに興味を持ち、独学で練習を始め、何人かの先生のレッスンを受ける・・・考えてみると、全てはそんな「情報を得やすい時代」だからこそ歩んだ道だとも思います。

僕がボイストレーニングに興味を持ち始めたのは、およそ10年前(2008年頃)です。その頃はまだ本屋さんのボイトレコーナーで教材を見つける、ということをしていました。しかし、そのうち全ての情報をネットから得る癖がついてしまいました。そして、僕自身のその傾向はスマートフォンを持つことで決定的になりました。

僕は、自分自身を「ボイトレ難民」と呼んでいた時期があります。ネット上のボイトレ関連のサイトを読み漁り、良いと思った練習方法や発声法を試し、一喜一憂していた・・・そんな時期は自分で「何が正しいか?」全く分からなくなっていました。また溢れている情報の「正誤」を見定める喉や声への見識も持ち合わせていませんでした。

さて、こんな時代、情報が何でも即座に手に入ることがマイナスに働くことも当然あるでしょう。ましてやボイストレーニングは「耳で聴く」ことがとても大切で、何にも増して最優先される分野です。ボイトレは、「知り過ぎる」ことがマイナスに働く危険性の強い分野であるともいえます。

フレデリック・フースラーは自著「うたうこと」の中で、「知り過ぎる」ことについて警笛を鳴らしています。

この記事ではそんなフースラーの言葉を引用しながら書き進めてみたいと思います。

お付き合いください。


「知り過ぎる」ことへのフースラーの警告

教師は歌手に、到達している発声の能力の、そのときどきの状態に相当した程度の知識だけを与えることが常に必要である。(一般にいって多くの場合はほんの少しにしておくのがよい)。多すぎると、その歌手から天真爛漫さを奪うだけである(素直に声を出せなくなり、声を出すことにこだわりができる)。それだから、常に、まず聞き、それから知る、を忘れてはならない。

上記の一文に続いて、授業で「声を聴くこと」をせずに、学問的な解説だけをすることについて「考えられないほどの考えのなさから生じている」とし、それは「心臓病の人に、治療をせずに、心臓が働く時の解説だけをしているようなものだ」と書いています。(因みにフースラーは、ボイストレーニングは練習ではなく”治療”であると、他の項で書いています)

 

多すぎる知識のインプットの弊害 ~僕自身の経験から~

およそ10年前、僕が今も歌わせてもらっているキャバンクラブ大阪でオーディションを受けた時のエピソードです。

僕はそれまでボイトレのレッスンなどは受けたことはなく、声に関する勉強を一切した経験がありませんでした。

オーディションでは数曲を歌わせてもらって、晴れて合格となったのですが、それ以降かりそめにもプロとしての自覚が芽生え(また、ステージで思うように歌えない日々が続いたこともあり)ボイトレ本を買って練習を始めました。

しかし、僕の声が劇的に変わる事はありませんでした。「”ミ”の音より上は決して地声で歌ってはいけないのだ」「声帯に吹き付ける息の量は一定でなければならない」といった”正しくない”知識はもとより、「音程(ピッチ)を調整する筋肉を輪状甲状筋と呼ぶ」「ミックスボイスを発声している時の喉の中身とは?」といった付け焼き刃の知識によって僕の声・歌はどんどんがんじがらめになっていきました。

そして結局、僕の歌は「最初のオーディションの時が一番良かった」という有様です。(実際に、ある人からそう言われたこともあります)

このエピソードは、フースラーのいうところの「素直に声を出せなくなり、声を出すことにこだわりができる」という警告にも通じるものだと思います。

喉に関する知識を得る前の僕は「張り上げ気味(ベルティング)」スタイルで歌っていました。「喚声点」「パッサジオ」という言葉さえ知らなかったのです。けれど「喚声点の存在」を知ってしまうと「張り上げること」に罪悪感を覚えることになります。「知識」が僕の歌からある種の「ワイルドさ」を奪っていったのかもしれません。もちろん「張り上げ」は推奨されるものではありませんが「”ミ”の音より上は決して地声で歌ってはいけない」と考えながら歌う歌に魅力があるはずはありません。つまり「”ミ”より上を地声で歌うことはミックスボイスの概念から外れている」という「知識」が僕の歌から天真爛漫さを奪っていったのでしょう。

 

作曲にも当てはまる「知り過ぎること」の弊害

ビートルズのジョン・レノンやビーチボーイズのブライアン・ウィルソン、キンクスのレイ・デイビスといった人たちは、ロック史上の「類まれな作曲家」として知られています。

彼らの作った曲は「(音楽理論を)知り過ぎていない」ことの魅力に溢れています。

「こんなところで、こんな曲展開!」「奇妙なコードチェンジ!」といった”アマチュアリズム”が生きていて、それが彼らの音楽の大きな魅力になっています。彼らの作った曲は「(音楽理論を)知り過ぎていない」ことから生まれる天真爛漫さに溢れ、それが、例えばクラシック畑の人達から賞賛を得ることも多いのです。

レナード・バーンスタインはブライアン・ウィルソンの作った「サーフズ・アップ」という曲をとても気に入り、絶賛していたそうです。

アカデミックで高等な音楽教育を受けてきたバーンスタインはブライアン・ウィルソンの音楽の中に生きている天真爛漫な”アマチュアリズム”に恐れを抱いていたのかもしれません。

 

まとめ

いかがでしたでしょうか?

どんな分野でも「知り過ぎること」による弊害は、確かに存在します。

特にボイストレーニングには「発せられた声を耳で聴く」以上に重要な作業はあり得ません。

机上の理論を並べるよりも、フースラーがいうところの「まず聞く」ことに最大の注意を払っていきたいものです。

 

以上、ご精読ありがとうございました。

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