歌の解釈の勉強か、純粋なボイトレか?喉の訓練=ボイトレを優先するべき。「楽器(喉)の完成」こそ表現への近道。

朝晩めっきり涼しくなりました。ずっとお世話になっていた冷房からも脱却できそうです。冷房嫌い派の人は、やれ身体に悪いだの冷やしすぎるだの仰いますが、僕は冷房の冷たさが大好きです。それに僕たちボイトレ学習者は一般の人よりもずっと長い期間冷房のお世話にならなければいけませんのでね!窓を開け放してボイトレしていて、それでご近所から苦情が来ないうちはまだまだビギナーでしょう!

さて、今回は「純粋なボイトレ」と、所謂「歌の練習」とを比べてみて・・・僕自身の経験も踏まえながら色々と書いてみたいと思います。

僕自身は、シンガーはまず、声の解放つまり「純粋な訓練としてのボイトレ」に力を注ぐべきと考えます。なぜなら、声が不自由なうちは、いくら胸のうちに秘めた”かくも美しい芸術的表現”があろうとも、それを表に出してあげるのは極めて困難だと思うからです。ギターやピアノ、その他の楽器の場合であってももちろん「ちゃんと音が出せないことにはどうしようもない」ことには変わりはないとは思いますが、歌の場合は「楽器(喉)の完成」にこそ一番時間を費やすべきではないかと思います。人間誰しも”胸のうちに秘めた芸術的表現”は持って生まれきているもので、要はそれを表に出せるか否か・・・聴いている人に届くかどうか・・・が課題であると思います。そして多くの人にとってそのことを難しくしているのは、兎にも角にも「楽器(喉)の故障」なのです。

しばしば、ギターやピアノの先生は「楽器を歌わせなさい」と言います。これはそもそも、多くの楽器の、演奏上のモチーフの源が「人の歌声」にあるためです。この「楽器を歌わせる」ということがその楽器演奏習得の要であり、そのためにはとにかく「ちゃんと音が出るか?」という課題は早々に片付けておく必要があります。つまり他の楽器の習得のための一番重要で難しいポイントは「メロディに歌心を通わせる」「演奏者の感情が楽器を媒体として聴き手に伝わるようにする」などといった芸術的な側面です。一方で、シンガーの場合は少し違います。僕たちはもう既に個性豊かな「歌心」を持っています。それが溢れ出るのを拒んでいる一番大きな原因は「楽器(喉)の故障」です。シンガーはいつも「ちゃんと音が出る楽器(喉)」についてにこそ細心の注意を払うべきです。そうすれば少なくとも(美醜は別にして)自身の歌心は自然に溢れ出るようになるはずです。究極的で狭義のボイトレとは、ただ純粋に「喉の訓練」と呼べるものです。この「喉の訓練」だけが、溢れ出ようにも溢れ出れないでいる、持って生まれた個性的な歌心を解き放つ唯一の方法なのです。

よって、「歌の解釈の勉強か、純粋なボイトレか?」どちらかを選びなさいと言われたら、僕は迷いなくボイトレすることを選びます。そのことが結局は個性的で芸術的な歌の表現への、一番の近道だと考えています。

 

以上、ご精読ありがとうございました。

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