わずか2cmの声帯による多種多様な声。持っている道具に差はない。使われ方の違いが声の違いとなって現れる。

我が家の近くのレンタルビデオ屋さんが閉店していました。仕方ないですね・・・ほんの5年くらい前までは、お正月に映画を見ようと思いレンタルビデオ屋さんに出かけても、軒並み”貸出中”の札ばかり。特に最新作・人気作は1本残らず出払っている状況でした。けれど、今や映画も音楽も配信の時代ですものね・・・結局少し離れたところにあるレンタルビデオ屋さんまで出向いてみたところ、そこもまたとても盛況とはいかない様子でした。そのレンタルビデオ屋さんの閑散としたフロアを見渡してみて、時代と共に消えていく一つの業態の最後を見るようで少し寂しい気持ちになりました。

僕もまた時代に取り残されていくのでしょうか・・・「映画見よう!」「よし、レンタルしに行こう!」と、いまだに反射的に答えてしまいます。(笑)

そんなことでこの正月、1本の映画をレンタルして鑑賞しました。

”寅さんシリーズ”でお馴染みの山田洋二監督、西田敏行主演の「学校」という映画です。夜間中学校に通う老若男女、立場も境遇もバラバラの生徒たちを描いた感動作で、西田敏行は彼らの教師として登場します。

さて、この映画にはほんの少しだけ、”寅さん”でお馴染みの渥美清の出演シーンがあります。彼は西田敏行演じる教師が住んでいる家の大家さんなのですが、最初のうちは「声だけ」が聴こえてくるだけで中々姿を現しません。まあ、最後にはあの特徴のある四角い顔がスクリーンに登場し、観客は「ああ、やっぱり渥美清だったんだ」と納得するわけですが・・・

この映画を観る人は山田洋二監督のファン、もしくは”寅さん”シリーズのファンである可能性も高いので、渥美清が「声だけ」の登場の時点ですでにその声の主が渥美清であることが分かるのです。そして「これは渥美清の声だな」という観客の期待が最大に膨らんだところに、彼の姿を画面に登場させ「ああ、やっぱり!」と、納得させる・・・そんな映画上の演出なのだと思います。

山田洋二監督がこのような”仕掛け”を施したのは、渥美清のあの独特な鋭い声あってこそであり、彼の声が”一聴して誰か分かる”ほど個性的だからでしょう。(一方の西田敏行の声もまた個性的です。彼の声はより暗く太い印象です)

 

声というのはとても不思議ですね。

声はもちろん、声帯が息によって振動させられることによって発せられます。

さてこの肝心かなめの声帯、男性で2cm、女性においてはわずか1.5cmのサイズしかない代物です。そんな”おもちゃみたいな”道具には空前絶後の能力が秘められているのですね!

上述した”鋭い”渥美清の声と、”暗い”西田敏行の声の間には、本当に微々たる喉の使い方の違いしかないだろうと想像できます。二人は、男性であること、背格好など共通した要素もたくさん持っているので、声帯や喉頭のサイズにそれほど大きな差はないはずです。

対照的な二人の声は、ほとんどが「道具の使い方」の差によるものでしょう。

人間は皆それぞれ独特の声色を使って話したり歌ったりしていますが、持っている道具に大した差はありません。

また「歌が上手い人」と「歌が苦手な人」の間には、”運命によって隔てられた”とでも言うような大きな差が横たわっているように感じがちですが、これもまた道具そのものの質の違いではなく、その使われ方(それも本当に僅かな)の違いに過ぎないでしょう。

お正月に見た映画から感じたことを、ただ書いてみました。

 

以上、ご精読ありがとうございました。

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