「声を記述する」ことの難しさ。感覚的な記述は危険、声の感覚を伝えることは危険

「書く」という行為を習慣化出来ている人と、そうでない人。浪費する時間に大きな差が出てくると言われています。

かくいう僕は「書かない」人間でした!

”覚えていられるから”という訳のわからない理由で、”書くこと”を習慣づけてこなかったツケはとても大きいです!

人間の記憶なんて本当にアテにならないので、数日も経つとすっかり忘れてしまいます。せめてどこかに書き留めておけば良かったものを!・・・そんな後悔は数知れません。

さすがに最近は”書く”ように心がけていますが、書き方が乱雑だと暗号を解くようで、何を意味しているかさっぱり分からない時もあります。

とても几帳面な先輩ミュージシャンがいます。例えば新しい曲をライブで演奏する時・・・僕なんかはメモ程度の走り書きで何とかやり過ごそうとしますが、その先輩はどんなに短い曲や簡単な曲でも必ずしっかりとした譜面を用意されます。先輩曰く「労力を少なくするため」だそうです。どういうことかと言うと「次にこの曲を演奏する時に一目で分かる譜面を作っておくこと。確かに最初に少し時間がかかるが結局その方が後々の手間が省けるから。どんな簡単な曲でも”もう一度思い出す”という作業をしたくないからだ」と。

なるほど・・・確かに最初に労力をかけておくことが、結局は合理的なのですね。因みにこの先輩は徹頭徹尾きちんとした人です。いつかのライブでは”忘れ物チェックリスト”を持参されているのを目にしたことがあります。一般社会では当たり前のことなのかもしれませんが、ミュージシャン仲間でこういう人はむしろ珍しいです。

さて昨年末、僕は家の大掃除をしていて何年も前の「ボイトレメモ」を見つけました。(一応、その時の練習の”感覚”を記録しようという意図はあったのでしょう)

残念ながらその中身は摩訶不思議・意味不明なフレーズの羅列であり、何のことを言っているのかさっぱり分かりません。

例えばこんなメモがありました。

「ラガラガと同じように」・・・何のことでしょうか?”ラガラガ”という言葉を使って音階練習をやっていたのかもしれませんが、”同じように”とは?・・・分かりかねますね!

それから、こんなものも。

「仮面をかぶったように」・・・まさか”無表情に歌え”という意味ではないでしょう。一つ考えられる可能性としては”声を前に出さないように”という意味かもしれません。そうだとすれば練習中に良い事に気が付いている可能性があります。”全ての声を前に出す”発声は「フォワードプロダクションメソード」と呼ばれ、声の健康を害する発声として認められています。また”発せられた声が仮面の内側に当たって角度を変えて頭の上へ飛んでいく”と考えれば、チェザリーの唱えた「サウンドビーム理論」に近いとも言えます。

「サウンドビーム理論」は、ともすれば”高音は頭のてっぺんから出せ!”という感覚主義の理論と捉えられがちです。サウンドビームはあくまでも「良い声を求め、それが達成された結果自動的に作られるもの」だと考えると納得がいくと思います。僕自身、気持ちよく歌えている時は確かに”高音は頭のてっぺんに”感じます。

まあ、上記のような走り書き程度のメモでは、その時の僕がボイトレによって自分の声にどんな感覚を覚えていたかは皆目わかりませんが・・・

では、その時の練習の感覚をしっかりと丁寧に記録出来ていれば、僕は何年後かにそのメモをみてその感覚を再現できるか?または生徒さんや後輩に、そのメモを頼りに何かを伝えることができるか?と問われれば、現実的には中々難しいと思います。ボイトレについて学びの浅かった僕の記述は、どうしても感覚的にならざるをえません。何を書いても、それこそ「高音は頭のてっぺんから出す」と変わらない表現しかできないでしょう。

ボイストレーニングを感覚的に伝えはじめたことは「効果のほどが人によって分かれる」つまり、上手くなるかならないか、やってみないと分からないボイトレを生んでしまった原因になっていると言われています。先生が自分自身の正しい発声の”結果”として起こることをそのまま”原因”として生徒に教えることは確かに危険なことだと思います。(「正しく発声している時に”たまたま”つま先立ちをしていた=つま先立ちをすれば高い声が出る、と教えてしまう。」つまり結果と原因の取り違えです。)

僕しか感じないかもしれない感覚を人に伝えること、僕にしか分からないかもしれない語彙を使って人に教えることは、やっぱり大きな誤解を生む原因となる可能性があり、とても危険なことです。

僕は年末の大掃除の時に出てきたメモを見て、改めて思いました。

 

以上、ご精読ありがとうございました。

筆者のプロフィール、ボイトレへの考え

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