喉に水をやり、栄養を与え、日光に当てる。愛情を込めて。ボイストレーニングとは観葉植物を育てるようなもの。

この間、久しぶりに京都市内の、とある公園に立ち寄ってみました。そしたら何かこう、景色に違和感があるのです。何故かな?と考えると、公園の周囲に雑草が濛々と生い茂っていたためでした。この公園、車移動の多い僕がちょっとした休憩のためによく立ち寄る場所なので、前回訪れたのは一カ月前くらいでしょうか?うん、前回来訪は二カ月前ということはないはずです。つまり、あの生命力豊かな雑草は、ほんの一カ月の期間で、来る者の目に景色の違和感を与える程にまで成長したということになります。

「雑草魂」「雑草根性」なんて言われるように、彼らの生きる力は本当に凄いですね。抜いて踏みにじって、挙げ句は除草剤で根絶やしにさせようとする人間の努力をいとも簡単に上回る繁殖力を見せつけられます。まあそもそも、「雑草」なんていう言い方自体も”食物連鎖の偉大なる帝王”ニンゲンさまから目線の呼称なので、彼らには「我々は雑草だ!」たる自覚はないでしょうが。

さてしばしば「ボイストレーニングとは、植物を育てる如きである」と言われます。毎日せっせと水やりをし、栄養を与え、日光に当てる・・・そうすることで植物がスクスクと育つように、ボイトレ学習者は日々の練習によって喉を力強く育てることが必要だ、という・・・

この例え、少し陳腐で安直なようにも感じるかもしれませんが、これは確かにその通りなのだと、僕も自身のボイトレ歴が伸びれば伸びるほど実感しています。手前味噌ながら、僕の声は最近また少し変わってきました。まず声量は確実に増したようです。高音も良くなったし音程もフィットさせ易くなりました。何より声質に変化が出てきたことを嬉しく感じています。石橋ボイストレーニング教室の、音符に水やりをしているロゴマーク・・・あの時は何となく作ったのですが、今はあのロゴマークにして良かったと思っています。まさに「声は植物の如し」なんですね。

惜しむらくは僕たちの声は、僕がその繁殖力に驚いた・・・あの雑草のように・・・放っておいても自動的に育つようなものではないということでしょうか。これもまた確かなことです。

今日何もしなければ、明日の声は昨日のままです。

そうだ!例えるなら、声は観葉植物のようなものですね。ちょっと気を使って何だかんだと手間はかかります。朝は陽に当て昼は室内に・・・栄養過多は良くない・・・水も多過ぎず少な過ぎず・・・なんなら「ベンジャミンちゃん」なんて名前まで付けて愛でたりもします。

観葉植物と声・・・手間暇と愛情によってスクスクと育つところは共通していますね。決して、雑草のように踏みにじってはいけません。

筆者のプロフィール、ボイトレへの考え

 

以上、ご精読ありがとうございました。

PAGE TOP