ボイトレなんか人生に影響ない! とんでもない!ボイトレは声を変え、人生を変えます

ボイトレでも何でもそうですが、練習が上手くいっている・目に見えて成長を感じられている時は、目の前がパッ!と明るく輝いて全ての事が可能なように感じます。ただ、一旦成長が停滞するとたちまち今までとは逆のマイナス発想となり「ああ、やっぱりダメなのかな・・・」と練習にも身が入らなくなります。

そんな停滞期・後退期に、つい口をついて出てきてしまう言葉・・・「〇〇なんか上手くなったって、俺の人生に何の影響もない」

こんなセリフを聞いたり、あなた自身が発してしまったことはありませんか?僕は何度もありますよ!笑

僕は小学校の時からボーイスカウトに入っていたのですが、中学の時に辞めてしまいました。その時も(実際、口に出したかどうかはともかくとして)「ロープの結び方や、山で火を起こしてご飯を炊くことなんか、僕の人生に何の影響もない」といった発想が頭の中にありました。

でも「私の人生に何の影響もない」と言ってしまえば全ては”それまで”ですね。確かにロープを結んだり、山でご飯を炊くことは多くの人の人生に必要ないことでしょう。・・・映画「男はつらいよ」の寅さんなら、きっとこう言うでしょう。

「それを言っちゃあ、おしまいよ!」

また、そんな事を考えてしまったら世の中の習い事のほとんどは「私の人生に何の影響もない」ことだらけです。

ボイトレとて同じ事です。

プロ歌手を目指していたり、声優を志していたり・・・ボイトレ学習者の中で、そんな「プロ志望」の人は少数です。

ほとんどの人は「カラオケが上手くなりたい」「話し声を改善したい」「バンドのボーカルをやっている」といった”アマチュア”の人たちです。もし、声を変える事が出来なくても(人生という大きな枠組みで見れば)あまり困らないでしょう。

少し話は逸れますが、上でも引用した映画「男はつらいよ」の作品の中で”芸術論”が語られるシーンがあります。そのシーンでは「人間は食べる事やお金のためだけに生きているのではない。美しい絵を見て感動する、良い音楽を聴いて涙を流す・・・そういう事のためにだって時間やお金を費やす価値はあるのだ」という結論が語られます。

この”芸術論”に沿って、ボイストレーニングというものを考えてみるとどうなるでしょうか?

上にも書いたように、多くのボイトレ学習者はアマチュアです。つまり「歌声を変えて、それでお金を稼いでご飯を食べる」ためにボイトレしているわけではありません。それでもアマチュアの学習者の人たちはボイトレのために”多くの”時間と、時にはお金も費やしています。

僕は社会人になってから二つの大きな”習い事”をやりました。一つは30歳手前から8年間続けたクラシックギター、もう一つは40歳手前から始めて今も続けているボイストレーニングです。

僕にとってボイストレーニングは(今となっては)「歌声を変えて、それでお金を稼いでご飯を食べる」ためのものです。

けれど、クラシックギターを練習することは”お金のため”ではありませんでした。(僕はバリバリのアマチュアだったので)言うなれば「僕の人生に何の影響もない」と捉えても差し支えないものでした。

けれど、クラシックギターに打ち込んだ8年間は、僕の人生を少し変えたと思います。少なくとも”音楽的には”全く新しい考え方を得る事ができ、音楽の聴き方も変わりました。

とても厳しい先生に教わっていたので、練習が嫌な時やレッスンに行きたくない時もありましたが、結局は長い期間続けることができました。(下記の記事でもこの先生の言葉を引用しています。是非読んでみてください)

さて、いろいろ話が逸れた記事となってしまいましたが、僕が書きたかったのは「男はつらいよ」での”芸術論”さながらの結論です。

ボイストレーニングに対する熱意に、プロもアマもありません。あなたの声がお金を生み出すか、その声を使ってご飯を食べれるかも関係ありません。ボイトレして声を変える事は、あなたが時間やお金を費やすに充分値することです。

時々、練習が上手くいかない時はこうも考えるでしょう・・・「ボイトレして声を変えても、アマチュアである私の人生に何の影響もない」

とんでもない!それは間違いです!

一定期間ボイトレを頑張ることによって、あなたの人生は少し変わったきたはずです。

僕が今でもクラシックギター時代のことを時々話すように、あなたもいずれ、一生懸命取り組んだボイトレ時代のことを誰かに話すはずです。

 

以上、ご精読ありがとうございました。

筆者のプロフィール、ボイトレへの考え

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