【リードの言葉】声を使うことが、声を酷使することになる。声は温存するもの?

「リハーサルでは一生懸命歌わない。本番で声が出なくなるから」・・・僕はライブの現場でよくこんな場面に遭遇します。

僕自身も何年か前まではそんな感じでした。リハーサルでは声を抑えて歌い、一曲歌い終わるたびに神経質に水分を摂り・・・極端な時は、ライブ前日は練習を控え、当日の午前中は会話さえ少なくして喉を守る・・・

当時の僕はそれが当たり前だという認識を持っていました。つまり「声は、使えば使うほどすり減るもの」「声は温存するもの」という考え方です。

けれどフレデリック・フースラーは、たくさんの科学的根拠で埋め尽くされた自著「うたうこと」の中で、こんな風に結論づけています。「”歌うこと”は人間の属性である」

ボイトレ学習者としての僕は、このフースラーの言葉にいつも勇気づけられています。人間とは・・・二本足で歩き、手で物を掴み、太陽と共に目覚め暗くなると眠る、そして、歌う。

あなたや僕のような、日々ボイトレに勤しんでいる人でも時々は飽きたり嫌になったりすることもあります。けれど、少しずつでも良い、続けてさえいれば”属性”である「歌うこと」は、必ず叶う!(いや、すでにある程度の期間、正しくボイトレをしてきた人なら言われなくても「必ず叶う!」と信じていると思います。もちろん僕も普通に信じています。だって、それだけの変化が自分の喉にちゃんと現れていますから!)

さて、上に書いたフースラーに並ぶ、ボイストレーニングを語る上で書くことのできない人「コーネリウス・L・リード」は1960年代を中心に活躍した発声指導者です。(没年は2008年なので、随分最近のことです)

そんなリードの言葉に次のようなものがあります。(リード著「ベルカント唱法 その原理と実践」からの引用です)

私たちの音楽的な現状を見ると、残念ながらそこには、声を〈使う〉ことが、声を〈酷使する〉ことになる、というまぎれもない事実があります。

 

歌うことが「声を酷使している」現状は、今も同じです

上項のリードの言葉が書かれたのは1950年なので一昔前の事となりますが、「声を酷使している現状」は今も変わらないでしょう。その理由は「”声を使う=声の酷使”ではなかった時代」に行なわれていたこととは違う方法でのボイストレーニングが、今でもたくさん行なわれているからです。(もちろん僕もそういった練習を行なってきた一人です)

リードは声楽の発声指導者なので、上の引用文の中の”私たちの音楽的な現状”とは、音楽界・声楽界のことを指していると思われますが、これは僕たちの周りの社会、所謂”一般社会”にも確かに当てはまります。そして”歌うこと”が人間の属性である以上、プロの声楽家であれ、アマチュアのカラオケ愛好家であれ、声については同じ土俵で語ることが必要だと思います。

冒頭に書いたように「リハーサルでは声を温存する」という、歌の現場で当たり前のように行われている選択は、そのまま「声を使う=声を酷使する」ことになっているという、ボーカリストたちの声に対する経験上の見解からとられている行動です。

かつては、僕自身もそのような「声の温存策」をとっていましたが、僕にはハッキリと「声を酷使している実感」がありました。腹式呼吸で歌っていたあの頃、歌うことは肉体的にも精神的にも”キツい!”と感じていました。”自由さ”や”歌うことの喜び”のかけらもありませんでした。いかにして最後の曲まで声を”もたせる”ことが出来るか?そういった非音楽的なことが目標になっていました。言い換えれば「僕の喉は、あと何曲”酷使”に耐えることができるか?」、そのことが毎晩のステージでのテーマでした。

 

「酷使される」ことから抜け出し、本来の「属性」へと回復させる

リードは「歌うことは人間の属性である(フースラー)」とは書いていませんが、この記事で引用した「声を使う=声の酷使になってしまっている」という言葉からは、フースラーが書いた”属性論”と同じような意味合いを感じます。

人間の属性である”二本足歩行”のことを考えてみてください。二本の足をロープできつく縛って動けないように何日も固定したとします。さあ、数日ぶりにロープをほどいて歩いてみます。「ああ!なんて自由なんだ!」と感じるでしょう。

一方、間違った筋肉の使い方でがんじがらめになってしまった声を、正しく訓練して自由にしたとします。そして歌ってみます・・・やっぱり同じように「ああ!なんて自由なんだ!」と感じるはずです。

「属性」とはそういうものなのでしょう。かつての僕のように「声を酷使している」と強く感じるということは、足に例えると正に「ロープで縛られている」ようなものなのです。

声を自由にすることは、本来の「”歌う”という属性」へと回復させることです。

ボイトレが順調に進み、完全に自由な声を手に入れたとします。そうなってしまえば「歌うこと」は「歩くことに」に匹敵する自然な行為となります。

歌うことが”属性”へと回復した暁には、「酷使」しようと思ってもそう簡単には「酷使」出来ないはずです。

 

以上、ご精読ありがとうございました。

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