豊かな声量・大きな声はボイトレにとって正義である。無理矢理な大声は喉を危険にさらしテクニックを使えなくする。

2019年も早3ヶ月が経ってしまいました。ほんとうに・・・つい昨日新年の挨拶を交わしたと思ったら、もうすでに年間の4分の1が過ぎようとしています。

これから桜の季節~新緑とゴールデンウィークを経ていよいよ夏へ。そうなるともうあっという間に一年です。それも8月あたりを越えると急激に時間の経つのが早くなる気がします。僕は今、6~10年かかるといわれるボイトレ道の真っただ中にいます。声の完成・自由自在に歌える境地に達した暁にはやっぱり「10年のボイトレ生活、後半はアッという間だったよ」なんて語っているのでしょうか。

さて、僕は車の中でボイトレすることも多いです。移動時間が長い車中ではアンザッツをやったり、適当に奇声を発したり歌を歌ったり、わりと楽しく過ごしています。アンザッツなんかもう2年以上もやっているので、最初から比べるとそれぞれの音質も磨かれてきた印象です。そして何より各アンザッツの声量が以前とは随分違ってきたと感じています。無理して力を込めなくても相当大きな音量を出せるようになってきました。またライブに来てくれたお客さんからも声量について評価をいただいています。(それでも僕が教わってきた先生方の声と比べると、まだまだ全然ダメですが)

僕は常々、声量というものは声の強さの一番シンプルな現れだと考えています。ボイトレをスタートさせて何か月も頑張って練習して、仲間と久しぶりにカラオケに出かけたとします。友人達から「ボイトレの効果出てるね、声量が随分増したよ!」という評価を受けたなら、これは素直に「よし!このまま頑張ろう!」と喜んで良いと思います。

ボイストレーニングの基本的なプロセス、つまり(声区の)「分離」「強化」「融合」のことを考えるとき・・・2番目のプロセス「強化」に対する評価・目指すべき指標の一つは、やっぱり”声量”なのです。

「大きな声が出せること」・・・ボイトレの世界では絶対的な正義だと思います。

声量は邪魔になりません。ライブでもカラオケでも会議のプレゼンでも・・・いつ何時でも、大きな声が出せて困る事はありません。

 

ただし・・・

自然に無理なく出せるボリュームの限度を超えた声量は、正義ではありません。長く出し続けていると喉が痛くなるような・・・次の日の歌声に明らかな問題を残すような・・・そんな類の”無理矢理な大きな声”は意味がないどころか、声をダメにしてしまう危険をはらんでいます。

「音量調整ができる(小さくも歌える)」「音程を行き来するのにストレスを感じない」・・・そういった自由度が備わった”大きな声”なら、ボイトレの成果の現れとして自慢できる強みになります。もちろんその為には肺活量や腹式呼吸のことは心配する必要はありませんし、ジョギングや腹筋運動なども不要です。必要なことは、アンザッツなどの純粋で正しいボイストレーニングだけです。

「大きな声は歌のテクニックの邪魔になる、だから声量は抑えめに歌うべきである」・・・こういった考え方もありますが、それでは”自由な声”とはまるで言えないでしょう。ライブでのモニター環境の問題、カラオケでの酔客の喧騒、会議のプレゼンでの雑音や私語・・・声量が出ずに、声が小さいために困ることは山ほどあると思います。

声量・大きな声は、最も原始的なレベルでの声の成長の現れであり、最もシンプルに聴き手に与える印象を左右します。

少なくとも声量は、いつもボイトレの目標の一つであり続けるべきだと思います。正しい方法でボイトレし続けていれば、心配しなくとも自動的に声は大きくなるとは思いますが・・・。

 

さて、冒頭に書いたように気候はもう春です、車も窓を開けて走れる季節になりました。

 

僕は自分の声の音量に関して、こんな目標をたててみました。

車中でボイトレしている僕の声がとても大きくて、窓を開けて走りながら歌うことを躊躇するくらいになりますように。

そして信号で停車している時は、窓を閉め切っていても、隣で停まっている車に僕の歌声が聴こえてしまいますように。もちろん騒音甚だしい大きな国道で・・・

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